- なんでも
- 永祚
- 19/09/30 22:52:46
「小さい頃から自分の名前や、父の娘ということでからかわれ、辛い思いをしてきました。そして、高校生のときに、自分が中絶をされそうになった事実を知って、『死んだほうがいいのかな』と思い悩みました。
父は早稲田出身ということもあり、ミュージシャンとしては良識があり、良い人というイメージがあるかもしれません。しかし本当はそうでないことを知ってもらいたくて、打ち明けることにしました」
そう語るのは、中野亜希さん(33・仮名)。父親はミュージシャンのサンプラザ中野くん(59・以下、中野)である。
▼父は土下座して「堕ろしてください。お願いします」
中野は早稲田大学在学中の1984年にバンド「爆風スランプ」のボーカルとしてデビュー。スキンヘッドにサングラスのインパクトのあるキャラクターで人気を博し、88年には自ら作詞した『Runner』が大ヒット。同年の紅白歌合戦にも出場した。
99年のバンド活動休止後は健康法や投資に関する著作を出し、肉はおろか卵や乳製品も摂らない菜食主義者としても知られている。今年のホノルルマラソンの公式ソングを担当するなど、音楽活動も継続中だ。
私生活では『Runner』がヒット中の89年3月に、デビュー前から交際していた同い年のOLと入籍したことを発表。その際、すでに2歳の女児がいることも明らかにし、メディアを賑わせた。当時の中野は会見でこう答えている。
「実は3年半前に、彼女から子供ができたと言われました。まだ学生だったし、給料も2万円と安かったので悩んだのですが、僕たちの愛の結晶なので産んでくださいとお願いしました」
その子供が冒頭に証言した亜希さんである。今回の告発にあたり、母から改めて事実関係を確認したという彼女が続ける。
「母から聞いた話はまるで違います。妊娠がわかると、『自分は弱小プロにいる状態で責任は持てない。産んだところで育てられるのか? 俺は知らない』と母に言ったそうです。母がその後も産むつもりでいると、中絶の期限が迫ったときに、父は土下座して『堕ろしてください。お願いします』と言った。その頃、爆風スランプは初の武道館公演が控えていて、スキャンダルを嫌ったのです」
▼「家にお父さんがいないと言っちゃダメだよ」
「名前については周囲から何度もからかわれて苦痛しかなかった。今でも覚えているのは、大学受験のとき、机に置いた受験票を見た教員に『フン』と鼻で笑われたことです。大学生になり、今の名前に改名しました」
亜希さんの出産をきっかけに両親の確執は深まり、入籍後も中野が母娘と暮らすことはなかった。
「たまに私に会いに来ていたようです。母からは『家にお父さんがいないと言っちゃダメだよ』と釘を刺されていました」
小2の時に両親は離婚。慰謝料と財産分与はなく、中野は入籍したときから家庭に入れていた生活費40万円と家賃を負担する約束になっていたが、離婚3年目頃からその額は減り、ついには途絶えたという。
「段々と家が困窮していくのを感じました。小5くらいから、母に物をねだると、すごい剣幕で怒られるようになりました。中3くらいのときに、プレイステーションのメモリーカードが勝手に売り払われていたこともあった。母が仕事に出かけたときに、1人で夕飯を食べようにも食べ物がないということもありました。
しかし母は、父が私の養育費を払っていないことをずっと隠していました。それを知ったのは04年、高3で受験を迎えたときです。母はお金のことをきちんとしてくれと父に訴えて、父の知人の第三者を間に立てて協議を行いました。その人に母が説明するため、2人の経緯をまとめた書類が家に置かれていたのを偶然見てしまい、中絶の強要があったことを知ったのです。私はアイデンティティが崩壊し、自分を汚らわしいと感じるようになりました」
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