• No.101 応永

    19/08/17 17:34:11

    やおよろず(800万)の神様が日本には居るっていう言い伝えをベースに、自然の1つ1つや、物にも神様が宿っているっていう世界観の中で、人間の精神性を頼りに「物言わぬ自然や動物、物の1つ1つにも、やおよろずの神様のような精神が宿っているかもしれないよ。それを感じようとすることで、相容れることのない人間、自然、動物、物など、違う存在とせめぎ合いながら進む世界でも、ぶつかり合いながらそれぞれが逞しく生きていこうよ」っていう感じじゃないかなぁ。

    まあ神様が宿っているかどうかなんて確かめようの無いことだから、これは一方的な思い込みにしかなれない仕組みなんだけど。
    内面の精神性と外的な意思表示と、ある種の2面性を持ち得る人間ならばこそ、「人間以外にも精神という神様が宿っているのかもしれない」っていう仮定を頼りに、そう考えながら衝突と共存っていう相反する状況を受け入れながら生きていけるのではないか、みたいな。

    駿さんは作品の中で衝突を否定しないし、けれども存在自体を全否定もしない。
    ただ、選択肢を複数持つ「種の集団としての人間」として、自然との衝突も当然と受け入れつつ、そこで生きていくことこそ人間だみたいな意識があるんじゃないかな。

    主人公が千という子どもなのは、単に、手にしている否定の根拠が少ない存在としてだと思ってた。

    ごめん全然伝わらないよね。

コメント

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返信コメント

  • No.104 漢字

    19/08/17 17:35:51

    >>101
    森羅万象の話しなのかな?

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