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>>1の続き
前原と小池は、平成5年に細川護煕率いる日本新党から初当選した。その後、疎遠となっていたが、前原が側近を介して小池との接触を試みたのは自然な流れだといえる。
小池にとっても、前原のアプローチは「渡りに船」だった。安倍の電撃解散により、新党の準備は整っておらず、組織も資金も不足していたからだ。
実は小池は7月から、前代表の蓮舫にも接触していた。「女ツートップでどうかしら」などと持ちかけると蓮舫も乗り気だったというが、蓮舫の辞任により頓挫してしまった。
再浮上した連携構想は一気に動き出した。前原と小池は頻繁に電話で連絡を取り合うようになった。
2人の動きを知っていたのは、それぞれの側近数人だけ。民進党幹事長の大島敦でさえ、前原の合流構想を知ったのは25日だった。小池側近を自認する細野豪志や若狭勝らは「蚊帳の外」だった。
20日ごろ、自由党代表の小沢一郎も前原に接触してきた。小沢は「まず民進と自由が合流し、小池の新党と社民を交えて比例代表の統一名簿を作ろう」と持ちかけた。前原は小池との合流話はおくびにも出さず、この構想にも一枚かんだ。
統一名簿構想は社民党の反対で頓挫したが、「反安倍」の足並みは確実にそろいつつあった。
× × ×
それでも前原は小池の合流構想にどこか煮え切らなかった。24日、小池は前原に電話でこう尋ねた。
「若狭や細野が新党の代表なら興味ある?」
前原が「興味ない」と答えると、小池はこうたたみかけた。「じゃあ私が代表なら興味あるの?」
前原は「もちろん興味ある」。25日午後の小池の緊急記者会見を待たずして、ここで小池の代表就任は決まった。
前原にはもう一つ大仕事があった。民進党の支持母体で、選挙の実務の大半を担う連合を説得せねば、構想は水泡に帰す。
前原は25日午後、都内で連合会長の神津里季生とひそかに会い、「安倍政権を打倒するため力を貸してほしい」と頭を下げた。
「民進党の自主再建」を持論とする神津だが、長い沈黙の後、こう言った。
「希望の党が民進党と連合との政策協定を丸飲みするなら支援しよう」
続く- 0
17/09/29 15:50:08