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「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」日航機墜落32年 小6次男しのぶ両親 (2ページ)
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- 冷麦に一本だけピンク
- 17/08/13 20:56:34
>>6霊がとどまるという考えだなんてどこにも書いていないのに、あなたは妄想で遺族を非難して、悲しい人だね。
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- 78
- ヨーヨー
- 17/08/13 21:02:26
笑顔の写真がなんともいえない
怖かったよね
普通の事故とは違うもんね
今から飛行機落ちるって分かってて待ってる間のみんなの気持ちになったらいたたまれない -
- 79
- お祭り
- 17/08/13 21:26:21
>>75生存者の落合さんの証言にあるよね。
墜落後はまだたくさんの生存者がいたらしい。
男の子の声もしたとか。
この子かどうかはわからないけど。
救助を待っている間どんな思いでいたのか、救助が到着するまでの間に、無念にも息絶えてしまったたくさんの命…
いろんなことを思うとすごく切なくなる。 -
- 80
- 肝試し
- 17/08/13 22:19:10
かわいそうに。涙がでた
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- 81
- 自由工作が親の作品
- 17/08/14 04:24:20
>>55
元々は満席で取れなかったんだよ。
で、それを奥さんの母親に話したら飛行機ではなく電車にしなさいとなったんでしょ -
- 82
- 水着
- 17/08/14 05:27:03
>>81嘘の話拡散しないほうがいいよ。
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- 83
- ひと夏のアバンチュール
- 17/08/14 06:33:07
皇后の仕業だったんだね。
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- 84
- 水着
- 17/08/14 06:47:50
面白がって真実ではないことを書き込みしている人が数名いますが大変痛ましい事故なので間違った情報を流すのはよくないと思います。
520人の方のご冥福をお祈りいたします。 -
- 85
- 自由研究
- 17/08/14 07:00:48
本当に想像を絶する事故だよ。
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- 86
- 自由工作が親の作品
- 17/08/14 08:44:28
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- 87
- スイカわり
- 17/08/14 08:56:03
墜落直後に生存者がたくさんいたってすごいよね?最終的に4人もいたってすごいよ
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- 昆虫採集
- 17/08/14 09:03:35
明石家さんまも乗る予定だったけど一つ前のが取れたから乗らなかったって本人が言ってたよね
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- ひまわり畑
- 17/08/14 09:09:07
>>8
こんなにたくさん子供が乗ってたんだ。夏休みだもんね。
子供だけ乗せた人は本当に気の毒。長時間ダッチロールして 怖い時間が長かったろうから 我が子が1人でどんな恐怖を味わったのかと考えるだけで 辛いだろうな。 -
- 90
- 焼きもろこし
- 17/08/14 13:49:56
>>82ダセーw
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- 91
- 焼きもろこし
- 17/08/14 13:50:48
>>83
キチ・ガイはさっさとしね!
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- BBQ(食べ担当)
- 17/08/14 14:12:29
>>79
これに関してはトピがあるけど不審な点が色々あるとか。状況的に生存者がもっといてもおかしくないっのに…。って見た。 -
- 93
- 学童弁当
- 17/08/14 14:58:01
残された親御さんの事を考えると想像を絶する事故だったし切なくなる記事ですね…。
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- 94
- かき氷
- 17/08/15 15:42:08
◆浜尾実氏の苦言『新天皇陛下、災害現場へもお飛びください』
女性自身 2007.05.08号
あるとき、浜尾さんは宮内庁の女官長から呼び出された。ホテルのラウンジで対座すると、女官長は膝元のメモに視線を落としながら言った。
「浜尾さん、この前、週刊誌にお話になったことはちょっと違っていませんか」
言葉遣いは丁寧だが、その口ぶりは批判的だった。
女官長といえば、美智子さまのお側にいてお世話をする女官たちの長である。
浜尾さんがマスコミに語るご一家の素顔は時として誇張され、苦言も批判と受け取られがちだったが、そのことにもっとも敏感に反応したのが、皇室と宮内庁だった。
女官長からの呼び出しはその後も続き、そのたびに浜尾さんは、お叱りを受けたという。
(中略)
また昭和64年、昭和天皇が崩御され元号が平成に変わってすぐのことだった。
浜尾さんのもとに『週刊朝日』から、新しい天皇陛下に期待することを書いてほしいという依頼があった。浜尾さんは日ごろから感じていたことを話し、それが記事となった。
《元東宮侍従、浜尾実氏の苦言『新天皇陛下、災害現場へもお飛びください』》
それは昭和60年夏の日航ジャンボジェット機の墜落事故や、61年の三原山噴火のとき、両陛下が軽井沢でご静養なさっていたり、横浜でテニスを楽しまれていたことを挙げ、両陛下にはそんなときこそ被災地に向かわれていただきたいという趣旨の苦言だった。
もちろん、浜尾さんはこの記事が掲載される前に、誤謬のないようにと同じ内容を便箋8枚にしたため、侍従を通じて天皇陛下に届けていた。
「お返事などいただけるとは思ってもいませんでしたが、翌日、侍従を通じて
“陛下が浜尾さんにお礼を申し上げてほしいとおっしゃっている”という電話をいただいたときは、陛下がおわかりくださったのだと恐縮、感激の思いを昧わったものです」
が、宮内庁の反応は冷ややかなものだったという。
それまで毎年、浩宮さまのお誕生日のお祝いのお茶会に、旧奉仕者の一人として招かれていた浜尾さんに、あるときからお招きの知らせがぷっつりと途絶えたのである。
女性自身 2007.05.08-15 シリーズ人間No.1850