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「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」日航機墜落32年 小6次男しのぶ両親 (2ページ)
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ママ達の声投稿されたコメントを掲載しています
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- 22
- 花火
- 17/08/13 13:46:52
一人でいたなんて心細かっただろうね。
辛いね。 -
- 21
- 線香花火
- 17/08/13 13:46:44
>>16
ごめんなさい
千の風になって です
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- 20
- 冷麦に一本だけピンク
- 17/08/13 13:45:37
この時代に飛行機に乗れるなんていいとこの子供だったんだろうね
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- 19
- 蚊取り線香
- 17/08/13 13:43:15
>>12
落ちてからもだよね。とてつもなく長かったと思う。すぐ救助来てくれなかったし。
悲しい -
- 18
- 日焼け
- 17/08/13 13:42:53
>>6
じゃあどこにいると思ったら正解なの?
仏壇や墓だって、分からないよね。
分からないからこそ、その家族その家族の考えや解釈でいいんじゃないのかな。
この両親が、山へ行って供養することで少しでも息子に会えた気分になれるならそれでいいと思う。 -
- 17
- セミ(抜け殻)
- 17/08/13 13:42:37
こういうのは辛い
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- 16
- ヨーヨー釣り
- 17/08/13 13:42:12
>>14
ちょっと調べてくる -
- 15
- 花火
- 17/08/13 13:42:11
>>6
遺族になれば分かるかも。
だから今は無理して分かろうとしなくていいよ。 -
- 14
ぴよぴよ
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- 13
- 麦茶係
- 17/08/13 13:39:29
>>6
いちいちクソとか見苦しい! -
- 12
- 盆踊り
- 17/08/13 13:39:15
この事故って異常事態になってから墜落するまで30分くらいあったんだよな
その間この子は周りに家族もおらず一人で恐怖と戦ってたと思うとやるせない -
- 11
- 昆虫採集
- 17/08/13 13:37:08
切ない。なんで起きたの?この事故は
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- 10
- ヨーヨー釣り
- 17/08/13 13:36:44
>>6
だから墓も仏壇も私は不要と思ってる。
でも思い出す機会というか区切りは何かいるのかなーと。このお父さん方も楽しみにしてるとかでは決して無いだろうけど節目に何か想い、毎年何か感じて毎年の行事というかそんなかんじのものにしているのかもね -
- 9
- 海水浴
- 17/08/13 13:35:53
親は死んだ子供の歳を数える言うけど、本当だなぁ
この子も大好きなコーラを飲ませて貰って喜んでるよ、きっと
ご両親の心中お察しします
合掌 -
- 8
- ビーチバレー
- 17/08/13 13:35:22
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- 7
- 昆虫採集
- 17/08/13 13:33:39
( ;∀;)
同い年か -
- 6
- ヨーヨー釣り
- 17/08/13 13:32:31
死んだ場所に霊がとどまるという考えは
どこから来るものなんだろう?
たとえば交通事故で死んだらその現場に
ずっとこだわるのか?
川で死んだらその川にずっとこだわるのか?
じゃあ墓は何なのか?
仏壇は?
亡くなった家族を思う気持ちはわからないでもないけど
その大切な魂がクソ寂しい山の中に永遠にとどまってるという考え方は
自分ならしない -
- 5
- キャンプ
- 17/08/13 13:32:29
>>4
最後の一行で一気にブログみたいになるね。 -
- 4
- 蚊取り線香
- 17/08/13 13:31:52
愛しい我が子が毎日何を感じてるのかさえ気になるのに、こんな怖い状況で何を思ったかどんな最後だったのか想像するだけで苦しいよね。
今日も家族が生きてることに感謝 -
- 3
- 匿名
- 17/08/13 13:30:15
あんな山奥じゃなく人里に落ちてれば、地上で犠牲者が出たかも
しれないが合計の犠牲者は少なくできたかもしれないな -
- 2
- 匿名
- 17/08/13 13:27:59
写真の笑顔が泣けるわ
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- 1
- 冷麦に一本だけピンク
- 17/08/13 13:24:33
だが、脳裏に焼き付いているのは十一歳のかわいい次男のまま。
生きていればどんな表情をし、どんな家庭を築いているだろうか-。史代さんは「大人になった姿を見てみたいです」とつぶやく。
御巣鷹の尾根には例年、春と八月十二日、秋の計三回登ってきた。
約五年前に政則さんが脳梗塞を患ってからは年二回に。今年はこの日だけだ。
夫妻はつえを持ち、手すりを頼って少しずつ尾根を歩いた。
墓標の前にやって来ると、柱の赤いパーカを新しいものに替え、手を合わせてじっと目を閉じる。
「心の中で『来たよ』と話しました」と政則さん。こう語り掛けると、帰る時は息子が一緒にいる気がする。
だから、回数が減っても慰霊登山をやめるつもりはない。体が続く限り、そばに行きたい。