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【実況】千鳥の鬼レンチャン
17/07/23 20:13:40
トピ文続き 妻は朝帰りを繰り返し、「育児放棄」状態に… 2人は都内でクリニックを経営している。もともと東京都下の私立大学医学部で同級生だった。別の大学付属病院で研修中に知り合い結婚。5人家族。傍目には幸せな家族だった。 裁判所の判決によると、元妻は平成20年ごろからしばしばあるいは、数カ月間はほぼ毎日、夜間、家を空けて子供たちを放置していた。この点を元夫はこう証言する。 元夫側の弁護人「離婚をされたのはいつですか」 元夫「平成22年の3月です」 弁護人「離婚の原因は具体的には何ですか」 元夫「妻の生活がちょっと乱れておかしかったので」 弁護人「具体的には」 元夫「まず家に全然帰ってこなかったので」 弁護人「家に帰ってこない間のお子さんの家事、育児はどなたがされていたんですか」 元夫「僕がしてました」 弁護人「具体的にどのようにされていましたか」 元夫「食べ物なんかは一緒に食べてましたし、外食とかも僕は連れていってましたし、あとは週末、どこかに出かけたりするのも全部、僕が出かけて連れてました」 弁護人「平日の学校の宿題などの面倒は誰が見たんですか」 元夫「だいたい5時か6時くらいに診療が終わるので、それからすぐ帰ると6時、7時には自宅に着いていましたから、それからご飯を食べて、それから宿題を見ていました」 弁護人「家に帰るというのは、東京の家に帰ると言うことですか」(注・このころは千葉県にも一戸建ての住宅を所有していた) 元夫「そうです」 弁護人「朝、学校に行く準備は誰がされてたんですか」 元夫「僕が全員を起こしていました」 弁護人「そして、送り出しもあなたがされていたんですよね」 元夫「はい」 弁護人「お子さんはお母さんがいないことについて、不満はなかったんですか」 元夫「もう毎日泣いていました」 弁護人「泣いているお子さんを面倒見たのはあなたですか」 元夫「はい。僕と長男がいた時期は、長男と一緒に娘たちを毎日なだめて、なだめないと寝てくれなかったので、二人で一生懸命なだめてました」 弁護人「それは離婚前の話ですよね」 元夫「それは離婚前です」 弁護人「そういう生活をしている奥さんに対して、生活態度を改めろと注意はしなかったんですか」
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古トピの為、これ以上コメントできません
17/07/23 20:14:27
>>1続き 元夫「メールにも書いています。メールの証拠にもありますけども、それはよく言っていました」 弁護人「けれども改善されなかったんですか」 元夫「はい」 弁護人「その、外に出ている間ですが、夜、帰ってこない間、奥さんは何をされていたんですか」 元夫「もうほぼ毎日飲みに行くと言って出て行って、真夜中か、もう朝帰りという感じですね」 弁護人「その、飲んでいる姿をどなたか見た方はいるんですか」 元夫「僕も見たことありますし、長男も見たことがあります」 弁護人「ご長男はどこで見たんですか」 元夫「長男はお店に連れて行かれたこともあるみたいだし、あとは渋谷の駅とうちの間のお店で男性と飲んでいるのを見たと言っていました」 弁護人「ご長男が見たと」 元夫「そしたらお母さんは隠れたと言っていました」 弁護人「それは離婚の直前ですか。それとも」 元夫「もう離婚する1年くらい前からはそうだったと思います」 弁護人「帰ってこない生活が続いていた、と」 元夫「はい」 弁護人「その離婚の1年くらい前から帰らない生活が続いていた、と。奥さんは帰ってこないという理由を何と説明していたんでしょう」 元夫「いつも飲みに行ってくると言って出て行ったきりでした」 弁護人「離婚前ですけれども、奥さんの容姿の変化とかっていうのはあったんですか」 元夫「派手な格好をして、髪の毛は茶髪でしたし、あとはミニスカートをはいて、いつも香水はすごくつけていました。あと、たばこも吸ってましたし…」 弁護人「それは家に帰ってこなくなった時期と重なるんですか」 元夫「そうですね。その前からだんだんとそういう風になってきましたね」 弁護人「奥さんが家族を顧みなくなったので、離婚をされたということだと思うんですけれども、平成22年3月の離婚の際の条件、お二人の間で何かあったんですか」 元夫「一応、子供が幼いので、なるべく離婚の事実がわからないようにしてくれという風に言いました」
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25/12/21 20:17:00
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.1 主 黒石つゆやきそば
17/07/23 20:13:40
トピ文続き
妻は朝帰りを繰り返し、「育児放棄」状態に…
2人は都内でクリニックを経営している。もともと東京都下の私立大学医学部で同級生だった。別の大学付属病院で研修中に知り合い結婚。5人家族。傍目には幸せな家族だった。
裁判所の判決によると、元妻は平成20年ごろからしばしばあるいは、数カ月間はほぼ毎日、夜間、家を空けて子供たちを放置していた。この点を元夫はこう証言する。
元夫側の弁護人「離婚をされたのはいつですか」
元夫「平成22年の3月です」
弁護人「離婚の原因は具体的には何ですか」
元夫「妻の生活がちょっと乱れておかしかったので」
弁護人「具体的には」
元夫「まず家に全然帰ってこなかったので」
弁護人「家に帰ってこない間のお子さんの家事、育児はどなたがされていたんですか」
元夫「僕がしてました」
弁護人「具体的にどのようにされていましたか」
元夫「食べ物なんかは一緒に食べてましたし、外食とかも僕は連れていってましたし、あとは週末、どこかに出かけたりするのも全部、僕が出かけて連れてました」
弁護人「平日の学校の宿題などの面倒は誰が見たんですか」
元夫「だいたい5時か6時くらいに診療が終わるので、それからすぐ帰ると6時、7時には自宅に着いていましたから、それからご飯を食べて、それから宿題を見ていました」
弁護人「家に帰るというのは、東京の家に帰ると言うことですか」(注・このころは千葉県にも一戸建ての住宅を所有していた)
元夫「そうです」
弁護人「朝、学校に行く準備は誰がされてたんですか」
元夫「僕が全員を起こしていました」
弁護人「そして、送り出しもあなたがされていたんですよね」
元夫「はい」
弁護人「お子さんはお母さんがいないことについて、不満はなかったんですか」
元夫「もう毎日泣いていました」
弁護人「泣いているお子さんを面倒見たのはあなたですか」
元夫「はい。僕と長男がいた時期は、長男と一緒に娘たちを毎日なだめて、なだめないと寝てくれなかったので、二人で一生懸命なだめてました」
弁護人「それは離婚前の話ですよね」
元夫「それは離婚前です」
弁護人「そういう生活をしている奥さんに対して、生活態度を改めろと注意はしなかったんですか」
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No.2 主 黒石つゆやきそば
17/07/23 20:14:27
>>1続き
元夫「メールにも書いています。メールの証拠にもありますけども、それはよく言っていました」
弁護人「けれども改善されなかったんですか」
元夫「はい」
弁護人「その、外に出ている間ですが、夜、帰ってこない間、奥さんは何をされていたんですか」
元夫「もうほぼ毎日飲みに行くと言って出て行って、真夜中か、もう朝帰りという感じですね」
弁護人「その、飲んでいる姿をどなたか見た方はいるんですか」
元夫「僕も見たことありますし、長男も見たことがあります」
弁護人「ご長男はどこで見たんですか」
元夫「長男はお店に連れて行かれたこともあるみたいだし、あとは渋谷の駅とうちの間のお店で男性と飲んでいるのを見たと言っていました」
弁護人「ご長男が見たと」
元夫「そしたらお母さんは隠れたと言っていました」
弁護人「それは離婚の直前ですか。それとも」
元夫「もう離婚する1年くらい前からはそうだったと思います」
弁護人「帰ってこない生活が続いていた、と」
元夫「はい」
弁護人「その離婚の1年くらい前から帰らない生活が続いていた、と。奥さんは帰ってこないという理由を何と説明していたんでしょう」
元夫「いつも飲みに行ってくると言って出て行ったきりでした」
弁護人「離婚前ですけれども、奥さんの容姿の変化とかっていうのはあったんですか」
元夫「派手な格好をして、髪の毛は茶髪でしたし、あとはミニスカートをはいて、いつも香水はすごくつけていました。あと、たばこも吸ってましたし…」
弁護人「それは家に帰ってこなくなった時期と重なるんですか」
元夫「そうですね。その前からだんだんとそういう風になってきましたね」
弁護人「奥さんが家族を顧みなくなったので、離婚をされたということだと思うんですけれども、平成22年3月の離婚の際の条件、お二人の間で何かあったんですか」
元夫「一応、子供が幼いので、なるべく離婚の事実がわからないようにしてくれという風に言いました」