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北見塩焼きそば
私が免許を取ったのが1980年。つまり80年代カーライフの申し子と言ってよかろう! なにせ当時のクルマってのは一種のスター。カーライフといえば、それは誰のものであってもスターの生活みたいなもので、地味だろうが貧乏だろうがみんな関心を持ったし、話題の中心だったんだよ!
というか、当時の若い男の生活は、クルマを中心に回っていた。生活における太陽のようなものですね。
そして特筆すべきは、女性たちもクルマを非常に重視していたという事実だ。今じゃ考えられないが、当時の女性は、クルマを男の価値の一部として見ていたのだ!
では、女性がなぜ男のクルマを重視したか。
いいクルマで迎えに来てくれる男は、一流企業の社員みたいなもの。そういう男と付き合うことは、女性にとって自分の価値を高めてくれる要素だったのだ。よって女性たちは、いいクルマに乗っている男を、それだけでかなりプラス評価した。思えば夢のような時代でした……。
当時、高級車への憧れもあるにはあったが、なんといっても重要だったのは速さだ。高級車なんてオッサンが乗るもので、若者はひたすら速いスポーツカーに憧れた。今でこそスポーツカーは女性に一番嫌われる車種だが、当時はもっともモテたのだ!
ただ当時は、今と比べても日本は貧乏で、国産車はドングリの背比べ的に遅く、速いクルマを買うのは極めて困難。よって多くの若者は、「速そうに見えるクルマ」でその欲望を満たした。それがスペシャルティカーである。
そんな我々の前に彗星のごとく現れたクルマ、それが初代ソアラだった。光り輝くカッコいいスタイルに、2800cc170馬力のエンジンを積み(当時にすれば想像を絶する大馬力)、お値段は298万円! 当時、国産車で約300万円なんて目ン玉が飛び出るほど高かった。日本なんてそんなもんだったんだよ!
私は周囲の友人たち同様ソアラに憧れまくり、父親にも「ソアラはいいよ~」と言いまくった。その甲斐あって父はホントにソアラを買った! 別にねだったわけじゃなく、オッサンではあっても父も男。カッコいいクルマへの憧れは十分あったのだ。そういう時代だったんです。
父のソアラが納車されると、大学生だった私はさっそく借りて、ゴルフサークルの練習に乗っていきました。
ソアラを見た女子大生たちは大コーフン! 「乗りたい! 乗りたい!」と殺到した。ウソじゃないよ、ホントだよ! 私は「4人までしか乗れないんだよね~」ともったいぶって、定員いっぱい女子大生を乗せて、そこらをグルっと一周した。本当の話です。
80年代、速いクルマはモテたわけですが、速く走ることもまたモテた。今じゃクルマで飛ばすなんて「バッカじゃないの?」「怖いから降ろして!」と言われるのがオチだが、当時の女性は飛ばさない男を腰抜けと見なし、飛ばす男を高評価したのだ。今とまったく逆です。
私は地味なおとなしい性格でしたが、ハンドルを握ると人が変わるタイプで、「何人たりともオラの前を走らせねえ!」と爆走しました。いつでもどこでも全開で飛ばしていたのですが、当時の女性はゆっくり走っていると「なんで飛ばさないの?」とせがまれたし、「前のクルマ全部抜いて!」と言われたこともある。隔世の感……。
そんなカーライフの晴れ舞台は、スキードライブでした。
愛車でスキー場に向かう。アクセル全開で! これぞ男の見せどころ! 『私をスキーに連れてって』の世界そのもの! つっても映画みたいにセリカGT‐FOURとか買えないので、タイヤチェーンを巻いて爆走するのですが、そこでチェーンを素早く装着できるかどうかも男の価値の一部だった。
私も事前に練習してスキーに備えましたよ! スキーの練習じゃないよ、チェーン装着の練習だよ! スタッドレスタイヤはまだ普及していませんでした。
若者はより速いクルマを求め、時代はそれに応えた。80年代は、バブル景気に向かって国産車は目覚ましく速くなっていったのだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170723-01365312-sspa-soci
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No.9 高岡コロッケ
17/07/23 13:49:36
>>6これよね、かっこいい
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