- 友募・馴れ合い
- W
- 17/05/07 22:51:00
不倫相手に言いたいけど言えない事、思ってる事、LINEに書けない事、なんでも書いていきましょう。
- 63 いいね
Pickup
不倫相手に言いたいけど言えない事、思ってる事、LINEに書けない事、なんでも書いていきましょう。
利用ルール・禁止事項をご確認ください
誹謗中傷、個人情報、プライバシーを侵害する投稿は禁止しています。
また誹謗中傷においては、法改正により投稿者の情報開示について簡易な裁判手続きが導入されております。
画像表示ON・OFF
>>12919
人の文をコピペやめろ。誰や出てこい。
馬宿さんをサンドバッグにしていじめた連中と馬宿さんを退学させたチューターの職員は反省して出てこい。
>>12921
えっ、めんどくさっ。
必ずひと言なきゃいけないの?
うちのマヌケ旦那も普段は私を落とすような事ばかり言ってババア扱い。やる時だけ気持ち悪い褒め言葉を言って擦り寄ってくる。
まさか外に男がいるなんて夢にも思わないからこんな雑な扱いしかしないんだろうけど私はそれを逆手にとって旦那の前でだけ、くたびれたババアとして生活してるよ。
取れなかった馬宿さんを東大選抜クラスに入れた河合塾もなんだかなあ~
男の身がって性処理セックスの相手させられてる。お嫁さんには絶対しないよ、なめられて都合のいい女なだけ。ピルだの関係ない話。
不倫してる男性女性どっちも、心許せる友達いないよね。
クソ遊び人の糞汚れ彼氏のLINEに全く友達のこと出てこないんだな。
不倫トピ全て可哀想な人の吹き溜まりだね、哀愁漂って負の連鎖しかない。
W不倫で長い人に質問。
連絡の内容ってどんな感じですか?
おはようやおやすみの挨拶は無しで。
最初はお互いめちゃたくさん送ってたけど、
2年した頃からお互い連絡が減ってます。
遠距離なので年数回しか会えません。
W不倫3年目の今、連絡する内容が無くて
最近軽く2週間~1ヶ月連絡してません。
何で道ならぬ恋に走って、人のもの奪うかな。因果応報自分の子はもっと悲しい目にあうよ。バカって感じ。
>>12929
いつもはあるのに今日は無かったからね。
それだけだよ。
センター試験1000点中250点しか取れなかったのに、なんで河合塾東大選抜クラスに入れたのかなあ?
三連休…生理じゃなければ会う時間作るのになー
>>12934
逆にそれだけ連絡しないと、連絡する時は何て連絡するの?
>>12935
まったくだわ。我が子がかわいそうと思ったら不倫から足洗って卒業。
みになる自分を成長させるものに変えていく。結婚前にいっぱい恋愛してこなかったから、結婚して恋愛ごっこに走るんだん、アホっぽい。哀れ。
不倫に気持ちが行ってしまって、何にも見えてなくって視野が超狭い。
亀さんから血を吐いています。
もう死にたいです。
木村修治さん、どーしてあんなことしたのか。
相手が離婚を考え始めた。元々気持ちは離れてるけど私との事で更にと思い始めたらしい。そんな簡単には出来ないよね。重い
男も女もなぜ不倫にとりつかれるか?
現実逃避、家庭生活を続ける潤滑油、寂しい、ストレスのはけ口、
性欲のはけ口、自分を認めて欲しい、父母が不倫していたのを見聞きして幼少期からのトラウマ。
男性は本気になるか?
大多数が遊び、子どもがいると本気であっても離婚できない、
終わらせる方法
傷が浅いうちに別れてしまうこと。『もう会わない』『連絡しない』と
伝えて一切連絡を取らないようにする。『良くないことだから終わらせる』
でいい。
彼と飲んで代行使うとか使えないとか、ピンと来ないんだけど田舎なんですか。
うちらは帰りは電車、下車して家まではタクシーです。バスもあるけど乗らないな。
街からタクシーだと4,5千円なので電車にしています。
つまらないことですみません。
名古屋市内在住の元寿司店経営の木村修治(当時30歳)は、愛人への仕送り等で多額の借金を抱え、その返済のために競輪と競馬に手を出してさらに借金を抱えて誘拐を計画した。
1980年12月2日、「英語の家庭教師をお願いしたい」と金城学院大学3年の女性(当時22)を誘い、自宅近くで誘拐した。映画『天国と地獄』をヒントに誘拐直後に殺害、遺体はビニルシートでくるみ、木曽川へ捨てた。女性の家族に3000万円の身代金を要求したが、受け取りに失敗。翌年1月20日、逮捕。
好きな人と結婚した。それでも一人が好きな私は、結婚なんて地獄への片道切符で人生の墓場だと覚悟したのだが…
働け。家事もちゃんとやれ。家が欲しいから貯金して。でも僕が欲しいものは我慢しない。それに出来れば子供産んでくれ。勿論、子育ては君がするんだよ。ってこの現状に、嗚呼、私は君の夢を叶えるために生涯下僕なんだなって改めて思った。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
昭和55.12.2
名古屋女子大生誘拐殺人
被害者の学生の名前は、当時かなり大々的に報道されたように記憶している。
中日新聞告知版に、T・Sさん(当時22)が英語の家庭教師をする旨の投稿を出していたのを見た犯人・木村修治が、家庭教師をお願いしたいと誘い出し、家族に身代金を要求。
木村はSさんが大声を出したため首を絞め殺害。木村は部落出身で多額の借金を抱えていた。また、自身の手記本を出した。
平成7年12.21死刑執行。
>>12942
えーいいじゃん。羨ましいわ。
私の彼みたいに奥さんとは仲悪い、生理的に無理って口だけな人より全然いい。
子煩悩だから子供からは絶対に離れられないだろうから離婚は100%ないだろうし。
>>12942
あたしの彼も子煩悩だから離婚しないだろうな。だから羨ましいよ。もし彼が本当に離婚したらあなたはどうするの?
情熱的商法のヤリモクのヤリチン男性の方達
不倫はおやめください。騙した女のヤリ捨ては、
女性の中絶と同じくらい罪深いです。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
>>12946
自分の嫌なことは主張しようよ。無理して結婚しないでいいのに。
彼の下僕って何時代生まれ?そういう古い封建的な土地にお住まいなの?
みてみて私彼のためにこんなに頑張ってます、すごいねって褒めてって感じ。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
ぷーちゃんへ
人の書いた文をコピーしすぎ。通報しますよ。自分で描くか、参加しないで。
マカオにいきます。
今村さんとウズベキスタンのシャヒマルダンに行く夢みました、
シャヒマルダン
シャヒマルダン
キルギス国内あるウズベキスタンの飛び地に位置するシャヒマルダン。
行くには許可証が必要で、観光にお勧めとは言えない。しかし、そこは空気がいつも爽やかで、川と山間の湖があり自然愛好家の注目を集めている保養地である。海抜1,500kmの高さにあり夏は避暑地として人気がある
朝から既読スルーされてる。
今まで無かった。
会いたいニュアンスの事言ってスルーだから、嫌だったのかな。
こうやって終わっていくのかな。
>>12963
これから来るかもよ?
今日、逢えます
今日会えるはずだったのに、ドタキャン!
いつもいつもドタキャンばかりでうんざりしてきた。
もう私の事なんて雑な扱いでも気にならないんだろうな。
来月は1泊旅行だけどさすがにドタキャンされたら別れよう
>>12941かめさんが血を吐く?ただごとではないですね。ご安全に。
>>12959このぷーちゃんはむしゃくしゃしている時の馬宿だよ。馬宿は嫌なことがあると、酒もタバコも女もやらないからネットで荒らしをするからね。ひどい時は連続100回荒らすから、マシなほう。
>>12959つさんは条件付きで馬宿の参加を許しているから優しいね。
>>12964
連絡来ましたが、やっぱりしばらくは会えないということが書いてありました。
理由も分かってます。(家族のことで、今は私と遊ぶとかそういう心境ではない)
ほんとにその理由だけなのか、それを建前にして距離を置きたいのか、心の中は分かりませんが。
私からの連絡は控えることにしました。
彼が事故ったって連絡がきた。
背骨も骨折して他にも骨折あるみたい。すぐに駆けつけれない辛さ。連絡くるまでこちらからは連絡できない。
血でシャツが赤くなった馬宿さん可哀想でした。
僕は道を歩いていて、ときどきクスッと笑うことがある。
「ああ、自分は天下の慶大生なんだ」と思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
激烈な慶應入試を突破してから2年。合格発表の日のあの喜びがいまだに続いている。
「慶應義塾大学」・・・・・その言葉を聞くと、僕は自然と身が引き締まります。
三田会の先輩方に恥じない自分であっただろうか・・・・。しかし、先輩方は僕に語りかけます。
「いいかい?伝統というのは我々自身が作り上げていく物なのだよ」と。僕は感動に打ち震えます。
「人が何をしてくれるかを問うてはならない。君が人に何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来日本の各界をになう最高のエリートである僕たちを鍛えるための天の配剤な
のでしょう。日本を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
慶大を卒業し社会に出ることにより、僕たち慶大生は伝統を日々紡いでゆくのです。
嗚呼なんてすばらしき慶應義塾大学。知名度は世界的。人気、実力すべてにおいて並びなき王者。
素晴らしい実績。余計な説明は一切いらない。「ご職業は?」と聞かれれば「慶大生です」の一言で羨望の眼差し。
合コンのたびに味わう圧倒的な慶應ブランドの威力。慶大に受かって本当によかった。
相手が離婚などしてフリーになって怖いものなしになるのが怖い。
やっぱりWが安心。相手もセーブするから。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。
木村は1950年2月5日、名古屋市で生まれた。被差別部落に生まれたのだが、木村がそのことを知ったのは後のことである。
地元の中学卒業後、定時制高校を中退。一宮市内の寿司店で住みこみで働き始め、22歳の時蟹江町の別の店に移った。そこの店で、主人に見こまれ、その娘と結婚して店を任されるようになった。木村は真面目に仕事に励み、子どもも2人生まれるなど幸せな生活を築きつつあった。
ところが1977、8年ごろから、木村は競馬、競輪に入れこむようになった。ギャンブルは、妻に頭があがらず生き抜きに覚えたというが、次第に仕事をさぼって繰り出すようになる。借金は3000万円にも膨れ上がっていた。さらにこの頃、愛人を作り、毎月20万円もの生活費を渡していた。