• No.138 匿名

    15/12/30 19:46:39

    ちょっとだけコピペ


    平安時代中期以降、京を中心に朝廷から格別の崇敬を受け、国家の重大事などに朝廷より奉幣に預かった神社があった。

    その数は段階的に増え、平安時代後期に22社となりその数が固定された。それらの神社の総称。

    格式の高い順から、上七社、中七社、下八社と分けられている。

    式内社には各種の種別がある。官幣社と国幣社もその一つ。

    奈良時代、毎年2月の祈年祭に神祇官(じんぎかん)から幣帛を受ける神社のことを官社と言った。

    その後平安時代に入り(延暦17年、798年)、それまで通り神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、その国の国司から幣帛を受ける「国幣社」とに分けられた。

    式内社では、官幣社は573社、737座。

    国幣社は2288社、2395座となっている。

    国幣社が設けられたのは、遠隔地の神社では祝部の上京が困難であるためとされている。

    官幣社の多くは畿内にあり、国幣社はすべて畿外にあった。

    その起源には諸説あり、

    「国司が、国内の諸社を巡拝するにあたり、最初に参拝する社を一宮とした」との説が通説。


    最初に参拝する神社は、(朝廷や国司が指定したのではなく)各諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力をもち、自然に生じた序列に従い決定したとする説が有力。






    つまり歴史の話。御利益云々の話じゃないんだよ。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

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返信コメント

  • No.150 匿名

    15/12/30 19:51:52

    >>141
    え?ちょっとだよ?長文が苦手だった?ごめんね。

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