おすぎピーコ

－発病－ 自分はよくしゃべるが執筆もしている。８年前のある日、原稿用紙のマス目が見えにくくなった。４４歳なの でまわりの人は老眼だろうと言い、眼科でもそう診断されたので、ミラショーンのダイヤ入りの老眼をかけ始 めた。 しかしどうも見えにくいので熱海の病院へおすぎと一緒に検査に行くことにした。終わったら芸者さんを呼ん で騒ごうと思っていた。結果は、左目は網膜剥離をおこしていた。

良い病院を紹介される。９時に行くと、既に４００人も患者が待っていた。目の腫瘍は悪性のメラノーマだっ た。メラノーマは足の指先に少しできたとたんに足首から切断しなければいけない程恐ろしいものだ。 目の中にできるのは希で、３０万人に１人くらいの確率と言われた。自分の担当の医者は以前に同じ病気を 扱ったことがあり、本当に幸いだった。 目を摘出することを決心し、友人達に報告をした。永六輔さんに、あなたはずいぶんさらりと目を取ってしま うと言うがずいぶんかわいくないと言われた。女優の吉行和子さんに報告したら電話口でぎゃーっと泣き出さ れてしまったりもした。 知り合いで同じメラノーマが手に出来、切断しなければいけないと報告され泣いてしまった。はじめて自分の 言ったことで人を傷つけてしまったことに気が付いた。

自宅の近くに青山墓地があり、そこには桜の木がある。これから何回桜を見られるのかなと思った。 病気の人には『がんばって』とあまり言わないほうがよい。その人は精一杯がんばっているのだから。 手に腫瘍が出来た知り合いは腕の付け根から切断したが亡くなった。

８月入院－手術 生まれて初めて入院するので入院患者内の掟は知らなかった。 掟とは１時間でも早く入院している人がエライのだ。 第１日目の食事が、イカの姿煮、豆乳、生野菜、そして食パンだった。イカと食パンの組み合わせにあ然とし た。もっと組み合わせを考えて欲しいと思った。入院中にダイエットをしようと決心した。まずいがカロリー がきちんと計算されている食事だからだ。しかしダイエットは実現しなかった。吉行和子さんが毎日来て、病 院の食事を食べ続けてしまったから。彼女はほんとうに毎日来てくれて、どれかがおいしいでしょうと３つ弁 当を買って来てくれた。

手術する病院は小田原で、そこは都会よりすこし離れているので看護婦さんも素朴な感じだった。手術の前に まつげを切ってもらったが誤ってまぶたを少し切られてしまった。しかし看護婦はこれから目をとる人がこん なことぐらいで、と、そんなかんじで随分鍛えられた。

医者に自分は痛いのが大嫌いなので絶対痛くしないでとお願いした。とても手術はうまくいき麻酔から覚めて も痛みはなかった。

義眼をはめることになった。アクリル製でとても高価なものだ。 義眼とはゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじのように丸いものではない。コンタクトレンズのように毎朝洗って入れ る。義眼をはめることが恐ろしく一生自分では出来ない人もいるそうだ。

弟のおすぎが入院中の仕事を全部替わってやってくれた。

－その後－ 抗ガン剤を受けた。副作用はないと言われたが、９月のある朝、枕に真っ黒になるほど髪の毛が抜けていた。 片目の中年のおかま。おまけに頭の毛がオランウータンの様、そんな自分を好きになってくれる人は誰もいな いと絶望した。自殺しようと初めて思った。しかし自宅はマンションの２階なのであきらめた。地獄の底に 落ちそうなビリーホリデーの歌を毎日聞いていた。

１２月になると毛が生えてきた。すぐに元気になった。

入院中のお見舞いでは、手紙がうれしかった。ある人の手紙を読み、自分は随分誤解をしていたのだと反省し た。手紙をたくさん読み、人とは見るだけではわからないものだと思った。 病気になって、良い友人をたくさんもっているのだと実感した。

病気になる４４歳までは”おいしくて気持ちよくて楽しく”が毎日の生活、”自分がいちばん”の生活だっ た。なんてひどい生活をしてきたのだろうと思った。 そして健康なときもっと想像力をたくましくする訓練をしておくべきだと思った。

病後５年が執行猶予と医者に言われた。命に限りがあるとそのとき初めて思った。

今まで自分はずいぶんひどいやつだったと思ったこともある。ガンになったら少しやさしくなった。きれいに なったとも言われる。心がゆったりするとそれが顔にもでるのでしょう。

壇上にはきれいな花輪があったが、近くにあるとまけちゃうからイヤと遠く離して講演された。 講演後には、病後レッスンを始められたというシャンソンも披露され会場を湧かせた。