• No.51

    12/03/03 08:50:11

    >>35
    君が代は
    千代に八千代に
    さざれ石の
    巌(いわお)となりて
    苔(こけ)のむすまで


    古今和歌集を参照して作られたらしく
    当時の意味としては
    君=特定の誰かをさすのではなく、幅広く使われる。

  • No.58 あっ

    12/03/03 09:16:12

    >>51日本人だし、天皇陛下を尊敬し、愛国心もあるけど、ちゃんと考えたら国歌の意味はサッパリわかんない…私。

    巌となりて

    千代に八千代に

    苔の結ぶまで



    頭ボーンってなりそう。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

広告

返信コメント

  • No.62 私もだ

    12/03/03 09:21:03

    >>58私も頭ボーン(笑)てなりそうな一人です。

  • No.71 拾い記事だけど

    12/03/03 09:37:47

    >>58
    1、「君が代」の成り立ち
     今から千数十年ほど前、延喜五年に出た歌集「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。
    その後、新撰和歌集にも、和漢朗詠集にも、その他数々の歌集にも載せられました。

     また、神様のお祭りにも、仏様の供養にも、酒宴の席でも、そして、盲目の乙女の物、乞いにも歌われました。

     これに曲がつけられたのは、明治2年10月ごろ、当時横浜の英国公使館を護衛するために、日本に来ていたイギリス歩兵隊の軍楽長、ジョン・ウィリアム・フェントンが言い出したからということです。
    彼は「儀礼音楽が必要だから、何かふさわしい曲を選んだらどうでしょうか。」と、当時薩摩藩の大山巌に進言し、それに基づいて、大山が数人と相談して、平素自分が、愛唱している琵琶歌の「蓬莱山」に引用されている「君が代」を選び、その作曲をフェントンに頼んだということとなっています。
     しかし、その曲は日本人の音感にふさわしくないということになりました。
    1880年(明治13年)、宮内省雅樂課に委嘱し、課員数名の中から奥好義の作品が選ばれ、一等伶人(雅楽を奏する人)の林広守が補作して、発表されたのがこの曲です。

    これに洋楽の和声をつけたのは、当時教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトです。

     この曲については、次のようなエピソードがあります。

    日本の代表的作曲家山田耕作氏は、若い頃ドイツに留学していました。
    その頃、ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
    その結果第一位に選ばれたのが日本の「君が代」でした。

    意味へ続く

1件~2件 ( 全2件)

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。