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- 匿名
- 11/04/03 09:58:36
<東日本大震災>4歳女児津波に流されながらも助かる
宮城県南三陸町で、津波に流されながら自宅裏の杉林にひっかかり、奇跡的に助かった4歳の女児がいた。一緒に流された祖母らは同じ杉林で亡くなっていた。女児の両親は「立派に育てることが供養になる」と心に決めている。
女児は同町戸倉の自衛官、星修さん(40)、みつえさん(43)夫婦の次女悠華(はるか)ちゃん。
大震災が起きた時、悠華ちゃんはみつえさんの母ちよさん(75)、祖父の義妹にあたるももよさん(87)と3人で自宅にいた。
同県登米市内に出かけていた夫婦は地震後、約25キロの道のりを、車を走らせ引き返すと、自宅は跡形もなくなり、辺りにはがれきが積み上がっていた。「悠華、ばあちゃん。どこにいんのや」。みつえさんは悠華ちゃんらの名を何度も叫び続けた。
約15分後だった。「赤ちゃんいたよー」。家の裏の杉林から男性の大声がした。「ママ!」。声のする方向へ向かうと、作業服の若い男性が悠華ちゃんを抱きかかえているのが見えた。
津波の襲来から1時間以上がたっていた。悠華ちゃんは全身ずぶぬれで、杉の葉だらけ。鼻や口、耳にも津波の水が入っていた。体は冷たく、足は動かなかった。「ママだよ。もう大丈夫だよ」と呼びかけると、悠華ちゃんは「うん」と力なくまぶたを閉じた。
連れていった登米市の診療所で低体温症と診断された。体をふいて湯たんぽで温めると、緊張が解けたのか、せきを切ったように泣きじゃくった。
その後、一家は登米市内の修さんの実家に身を寄せた。悠華ちゃんは数日間、黒い下痢が続いた。食欲も出て少しずつ元気になってきているが、夕方薄暗くなると泣きじゃくるようになった。みつえさんは「今までになかったこと。津波を思い出すのでは」と話す。
地震の翌日、同じ杉林で、ちよさんと、ももよさんが遺体で見つかった。みつえさんには、2人が悠華ちゃんを守ってくれたようにも思える。
「子どもを立派に育てなければ」。みつえさんは、不安そうに足にまとわりついてきた悠華ちゃんを強く抱きしめた。
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