放射能漏れ へのコメント(No.8941

  • No.8941 東海村

    11/03/14 01:10:50

    1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料サイクル開発機構の高速増殖実験炉「常陽」向けの燃料加工の工程中に、ウラン溶液が臨界状態に達し、核分裂連鎖反応が発生。この反応は約20時間持続した。これにより、至近距離で致死量の中性子線を浴びた作業員3人中、2人が死亡した。


    【原因】
    事故は、製品であるウラン溶液(硝酸ウラニル)を均質化する工程で発生した。溶液は本来、中性子が外に抜けやすいよう細長く作られた(形状制限された)「貯塔」で均質化を行う事になっていた。しかしJCOは、国の管理規定に沿う正規マニュアルではなく「裏マニュアル」で運用。本来、臨界状態に至らないよう、形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)にステンレス製バケツを用いて溶液を流し込む手順に変更していた。

    その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等が大量に放射された。これは制御不能の原子炉が出現したようなものである。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」(チェレンコフ光)と語った。


    【被害】
    この事故では3名の作業員が推定1シーベルト以上の多量の放射線を浴びた。そのため、ヘリコプターで放射線医学総合研究所(以下放医研)へ搬送された後、2名は造血細胞の移植の関係から東大病院などに転院し、集中治療がなされた。

    ■作業員O(推定17シーベルトの被爆、放医研→東大病院)
    造血細胞の移植に失敗、事故から83日後の12月21日に死亡。この線量は、核爆発時の爆心に匹敵する線量とされる。

    ■作業員S(推定10シーベルトの被爆、放医研→東京大学医科学研究所付属病院→東大病院)
    造血細胞の移植が一定の成果をあげ、一時は警察の本事故捜査員への証言を行うまでに回復した。しかしその後、容態が急変、事故から211日後の翌年4月27日に死亡した。


    また、「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない。」(社長・工場長談)とJCO関係者らが、数回に分けて内部に突入して冷却水を抜き、連鎖反応を止めることにより事故は終息したが、その水抜き作業等で被曝した人は計18人(うち7人が年間許容線量を越える被曝)。その後のホウ酸水注入でも、6人が被爆した。そして、事故の内容を十分知らされていなかったため、被曝した作業員を搬送すべく駆け付けた救急隊員3人が二次被曝した。周辺住民への中性子線等の被曝も起こった。1945年に初めての核実験が行われてから、60年余りが経ち、医療も進歩した。しかし人類は、未だ、その治療方法を知らない。

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