カテゴリ(複数選択可)
急上昇
兄夫婦と同居の実母が1万円生活
12/10/07 21:07:12
>>1013 日中国交回復40周年 木内昭胤元駐仏大使インタビュー(1972年当時首相秘書官) 産経新聞 10月7日(日)20時41分配信 ■尖閣は世間で問題でなかった 田中角栄内閣が1972年に発足する前は、国連代表権問題なんかで中国じゃなくて中華民国(台湾)だということできていて、そんなことでは済まないんじゃないかという空気が日本中にあった。 その中で田中さんが登場して、必要以上の人気が出たわけですよね。 ですから田中さんが日中関係をなんとかしなきゃいけないと思っておられたことは事実ですね。 ただ、中国との国交正常化は、台湾の問題があるから難しいですよ。 田中さんは「行けばなんとかなる」なんて思ってなかった。 そうした中で竹入義勝公明党委員長の訪中があった。 あれは立派なもんですよ。 それは田中さんも多としたんじゃないですか。 中国と前向きに取り組むんだというのは自民党も了承しているわけですよ。 総裁選で田中さんを選んだということでね。 あの段階で福田赳夫さんを選んだらどうなるか分からないけど…。 ただ、(自民党タカ派の)「青嵐会」の反対はすさまじいものがありましたね。 沖縄県・尖閣諸島の問題は、油が出るといわれてから浮上してきた問題だし、あんまり世間では問題にしてなかったですよね。 今ではなかなか難しい問題だけど。 田中さんの頭の中にあった問題は油が出るかどうか。当時は今のような掘削技術がなかったんです。 (1972年9月27日の日中首脳会談で田中角栄首相が沖縄県・尖閣諸島の問題を持ち出したのは)あんまり小さなとげを残しておきたくないという気持ちじゃないですかね。 この機会に事をなるべくはっきりさせておいたほうがいいと。 日米安全保障条約問題や賠償問題であれだけ中国が譲って大局的見地に立っているんだから。 だけど今日のような深刻な事態は彼は想定していませんでしたね。 つづく
12/10/07 21:10:43
>>1077つづき ■うまかった迎賓館食事 (中国側が歴史問題で謝罪する言葉が軽すぎるとして反発した田中首相の「ご迷惑」発言は)田中さんもちょっとまずいことしたなということで消耗していた。 確かに中国にしてみれば何年も自分の国に土足で踏み込まれていろんなことが起こった。 だから迷惑で済むはずがねえといわれたら、こっちはぐうの音も出ないですよ。 でも田中さんは最初から開き直っていた感じだな。出発前から。とにかく腹くくっていたことは事実ですよね。 少なくとも周恩来首相の存在が念頭にあって、彼となら仕事ができるということは漠然とは思っていた。 それは周恩来もそうですからね。 あのころ中国にとって重要なのはソ連ですよ。 中ソ対立。 だから日本との関係をなんとかしなきゃいけないと思っていたんですね。 北京滞在中は、大平正芳外相は姫鵬飛外相と交渉して時間をつぶしておられたけど、田中さんはすることがないんですよ。 われわれと一緒に迎賓館の部屋に閉じこもってね。 時間の経過というのは相当な負担だった。 われわれと雑談したり、本を読んだりしておられました。 ただ、田中さんは食欲はありましたね。 迎賓館の飯は非常においしかったです。 人民大会堂の飯はちっともおいしくなかったけど、迎賓館の飯は中国料理というのはこんなにおいしいものかっていうぐらいすばらしいもんですな。 朝飯なんかはワンタンとか、おかゆとかね。すばらしかったな、あれは。 つづく
通報
古トピの為、これ以上コメントできません
12/10/07 21:27:55
>>1078つづき ■車中で「しんどいな」 田中さんは日中国交正常化を自分でやりたいと思っていた。 日本のためになんとしてもまとめて帰りたいという願望がありましたよね。 日本が枕を高くして寝られるようにするためには、中国とよしみを通じておかなければいけないという判断じゃないですかね。 交渉がまとまって、日本に帰ったら大変だということは意識していました。 交渉は百点満点ですよ。でも心配だった。 羽田空港に着いて、自民党の橋本登美三郎幹事長が迎えに来て車に乗って記帳しに皇居に行くわけですよね。 もう橋本さんはオロオロしているわけだ。「大変だぞ。どうするんだ?」って。 これから両院議員総会に出るために党本部へ行かなきゃいけない。 僕は車の中で田中さんと登美さんの間に座って、「これはしんどいな」と思った。 党本部に行ったら、案の定、反対がものすごかった。 やっぱり角さんじゃなきゃ対抗できなかった。 もう机ひっくり返して、怒鳴って、自民党というのはやっぱりああいう強硬なのがマイノリティー(少数派)でいるんですな。 それでマジョリティー(多数派)はハト派だけど、なんの役にも立たないんだ。 ハト派は陰で「君も大変だな」なんて役人を激励してくれるけど何もしない。 青嵐会の力を高く評価しすぎているかもしれないけど、私にとっては角さんにお仕えしている間で最大の経験でしたね。 日中国交正常化は相当な政治リスクがあった。 失敗したら大変な汚点が残る。 成功したからわーっと支持率が上がったけど…。 やっぱり政治生命を賭けてたわけですからね。 田中さんは「うまくいかなかったら仕方ねえや」といっていましたが、のめのめ帰るのも業腹だ。 なんとか中央突破という考え方の持ち主だから、なんとかやらなきゃいけないと考えていました。 外務省の事務方の準備は相当なものでしたよ。 中国との国交正常化に反対する考えの人は外務省だって半々とはいえないけど、少数には大丈夫かなと思っていた人がいた。 中国課やアジア局にも両方あったんですから。 しかし、方針が決まってからは堂々たるものでしたよ。
1件~1件 (全1件)
子育てや家事、旦那に関する悩み相談、TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!
1
26/10/20 13:45:03
138
2
26/10/20 13:44:07
90
3
26/10/20 13:39:33
48
4
26/10/20 13:44:46
328282
5
26/10/20 13:40:12
115
26/10/20 13:29:25
0
26/10/20 13:35:06
26/10/20 13:37:42
8
26/10/20 13:35:02
26/10/20 13:36:40
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.1077 匿名
12/10/07 21:07:12
>>1013
日中国交回復40周年 木内昭胤元駐仏大使インタビュー(1972年当時首相秘書官)
産経新聞 10月7日(日)20時41分配信
■尖閣は世間で問題でなかった
田中角栄内閣が1972年に発足する前は、国連代表権問題なんかで中国じゃなくて中華民国(台湾)だということできていて、そんなことでは済まないんじゃないかという空気が日本中にあった。
その中で田中さんが登場して、必要以上の人気が出たわけですよね。
ですから田中さんが日中関係をなんとかしなきゃいけないと思っておられたことは事実ですね。
ただ、中国との国交正常化は、台湾の問題があるから難しいですよ。
田中さんは「行けばなんとかなる」なんて思ってなかった。
そうした中で竹入義勝公明党委員長の訪中があった。
あれは立派なもんですよ。
それは田中さんも多としたんじゃないですか。
中国と前向きに取り組むんだというのは自民党も了承しているわけですよ。
総裁選で田中さんを選んだということでね。
あの段階で福田赳夫さんを選んだらどうなるか分からないけど…。
ただ、(自民党タカ派の)「青嵐会」の反対はすさまじいものがありましたね。
沖縄県・尖閣諸島の問題は、油が出るといわれてから浮上してきた問題だし、あんまり世間では問題にしてなかったですよね。
今ではなかなか難しい問題だけど。
田中さんの頭の中にあった問題は油が出るかどうか。当時は今のような掘削技術がなかったんです。
(1972年9月27日の日中首脳会談で田中角栄首相が沖縄県・尖閣諸島の問題を持ち出したのは)あんまり小さなとげを残しておきたくないという気持ちじゃないですかね。
この機会に事をなるべくはっきりさせておいたほうがいいと。
日米安全保障条約問題や賠償問題であれだけ中国が譲って大局的見地に立っているんだから。
だけど今日のような深刻な事態は彼は想定していませんでしたね。
つづく
No.1078 匿名
12/10/07 21:10:43
>>1077つづき
■うまかった迎賓館食事
(中国側が歴史問題で謝罪する言葉が軽すぎるとして反発した田中首相の「ご迷惑」発言は)田中さんもちょっとまずいことしたなということで消耗していた。
確かに中国にしてみれば何年も自分の国に土足で踏み込まれていろんなことが起こった。
だから迷惑で済むはずがねえといわれたら、こっちはぐうの音も出ないですよ。
でも田中さんは最初から開き直っていた感じだな。出発前から。とにかく腹くくっていたことは事実ですよね。
少なくとも周恩来首相の存在が念頭にあって、彼となら仕事ができるということは漠然とは思っていた。
それは周恩来もそうですからね。
あのころ中国にとって重要なのはソ連ですよ。
中ソ対立。
だから日本との関係をなんとかしなきゃいけないと思っていたんですね。
北京滞在中は、大平正芳外相は姫鵬飛外相と交渉して時間をつぶしておられたけど、田中さんはすることがないんですよ。
われわれと一緒に迎賓館の部屋に閉じこもってね。
時間の経過というのは相当な負担だった。
われわれと雑談したり、本を読んだりしておられました。
ただ、田中さんは食欲はありましたね。
迎賓館の飯は非常においしかったです。
人民大会堂の飯はちっともおいしくなかったけど、迎賓館の飯は中国料理というのはこんなにおいしいものかっていうぐらいすばらしいもんですな。
朝飯なんかはワンタンとか、おかゆとかね。すばらしかったな、あれは。
つづく
通報
コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
返信コメント
No.1079 匿名
12/10/07 21:27:55
>>1078つづき
■車中で「しんどいな」
田中さんは日中国交正常化を自分でやりたいと思っていた。
日本のためになんとしてもまとめて帰りたいという願望がありましたよね。
日本が枕を高くして寝られるようにするためには、中国とよしみを通じておかなければいけないという判断じゃないですかね。
交渉がまとまって、日本に帰ったら大変だということは意識していました。
交渉は百点満点ですよ。でも心配だった。
羽田空港に着いて、自民党の橋本登美三郎幹事長が迎えに来て車に乗って記帳しに皇居に行くわけですよね。
もう橋本さんはオロオロしているわけだ。「大変だぞ。どうするんだ?」って。
これから両院議員総会に出るために党本部へ行かなきゃいけない。
僕は車の中で田中さんと登美さんの間に座って、「これはしんどいな」と思った。
党本部に行ったら、案の定、反対がものすごかった。
やっぱり角さんじゃなきゃ対抗できなかった。
もう机ひっくり返して、怒鳴って、自民党というのはやっぱりああいう強硬なのがマイノリティー(少数派)でいるんですな。
それでマジョリティー(多数派)はハト派だけど、なんの役にも立たないんだ。
ハト派は陰で「君も大変だな」なんて役人を激励してくれるけど何もしない。
青嵐会の力を高く評価しすぎているかもしれないけど、私にとっては角さんにお仕えしている間で最大の経験でしたね。
日中国交正常化は相当な政治リスクがあった。
失敗したら大変な汚点が残る。
成功したからわーっと支持率が上がったけど…。
やっぱり政治生命を賭けてたわけですからね。
田中さんは「うまくいかなかったら仕方ねえや」といっていましたが、のめのめ帰るのも業腹だ。
なんとか中央突破という考え方の持ち主だから、なんとかやらなきゃいけないと考えていました。
外務省の事務方の準備は相当なものでしたよ。
中国との国交正常化に反対する考えの人は外務省だって半々とはいえないけど、少数には大丈夫かなと思っていた人がいた。
中国課やアジア局にも両方あったんですから。
しかし、方針が決まってからは堂々たるものでしたよ。