• No.3 お母さんお風呂入ってくるよ

    26/03/23 11:35:56

    公道は、名前のない人々がすれ違う社会として成り立っている。走る車にどんな家族が乗っているかは、安全な運転とは関係のない情報だ。利用者がお互いの素性を隠し、交通ルールという共通の約束を守ることで、移動はスムーズに行われている。

     ところが「赤ちゃんが乗っています」という表示は、この名前のない者同士の約束を破り、特定の自分をさらけ出す行為になる。交通という無機質な仕組みに、個人的な事情を急に持ち込むことは、他人の情報処理を乱す「雑音」になる。この情報を微笑ましいと感じるか、うるさいと感じるかは受け手次第だ。効率を重視すれば、調和を乱す余計な口出しとも映る。

     ここには、公と私の境目がぼんやりしてきた現代社会の問題が映し出されている。かつてははっきりわかれていた公の場と私的空間の線が、SNSの広がりなどで溶け始めている。ステッカーは、そのあやふやさを象徴している。人々の不安やいらだちは、公と私の線がどこにあるのか、その確かな境界が見えないことから生まれているのだろう。

    ◆リスク社会の表出

     この表示が映し出しているのは、安全の問題というよりも、社会に根付く摩擦だ。はっきり見えるのはふたつの姿である。ひとつは、車が家庭の延長になっていること。もうひとつは、道路という公の場が、合理的に動く場所であると同時に、人の感情がぶつかり合う空間でもある現実だ。

     鉄の塊である車は、本来、感情を持たない。しかし、車体に貼られた小さな表示は、公道に家庭の気配を無理やり持ち込む。その瞬間、道路は効率だけを追う場から、個人の価値観や人間関係が入り混じる空間に変わる。今の交通環境が、スムーズな移動と人間らしい思いやりを両立できていないことを示している。

     さらに、ステッカーの存在は、現代が不安に満ちた

    「リスク社会」

    であることも示している。親たちは、子どもを守るためにできることは何でも行わなければならないと感じる。法律や車の技術だけでは安全が守りきれず、民間のグッズに頼るしかない。この不安が、ステッカーが使われ続ける理由だ。公的制度や技術への信頼が揺らぐなかで、人々は記号による個人的な守りに向かうのである。

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