• No.3 永遠の愛

    25/10/09 01:04:39

    中秋の名月十五夜も過ぎ、空の色は冴えながらも、どこか物憂げに霞みて、
    風の音ばかりが庭の芒(すすき)を渡る。
    秋の夜長といふ言の葉の、いとど身に沁むころなりけり。

    そのころ、都のはずれ、嵯峨野にほど近き里に、
    ある女(をみな)の住みたまふがありけり。
    年のころ三十あまり、夫には早くに別れ、
    子らを育てながら静かに暮らすさま、
    世にはあらぬように慎ましく、しかしどこか高き気配を帯びたり。

    日ごろは子らの声に慰められ、
    朝な朝なに焚く香のけむりを眺めつつ、
    過ぎし日々を夢のごとく思ひ出づ。
    けふもまた、暮れがたの空の紅(くれない)に心をとめ、
    ふと筆を取りて紙に言の葉をしたためたまふ。

    「秋の夜長くして、人の思ひもまた長くなりにけり。
    月の光にたゆたふ露のやうに、われが心も定まらず。」

    その筆の跡、わずかに乱れながらも、
    柔らかに、ゆるゆると流るる。
    書き終へて、女はそっと灯をかかげ、
    簾(すだれ)のかたより夜の庭をのぞく。

    庭の薄、露をふくみて銀の糸のごとく光り、
    萩の花はかすかに揺れて、
    遠く小川の水音の絶え間なく聞こゆる。
    ――その静けさのなかに、
    人の声に似た虫の音が、ひとつ、ふたつ。

    女の胸に、ふと遠き昔の面影よぎる。
    若き日の夜、同じこの庭にて、
    笛の音を聴かせし人ありき。
    月の光にその袖の白きを見て、
    「この人こそ、わが縁の人ならむ」と思ひたる。
    けれども世の常の風に吹かれて、
    その人はほどなく都を去りにき。
    手もとに残るは、秋の歌一首と、
    いまは色褪せたる唐紙の断片のみ。

     「風すさぶ 秋の野辺にて われ待たむ
     月の光の 通ふほどまで」

    それをいまも文箱に忍ばせて、
    時折、香を焚きしめながら見るを常とせり。
    今宵もまた、月明かりの下でその紙を取り出だし、
    目を細めて古き筆跡をたどりたまふ。

     「人の心は、いづこへ行きにけむ。
     秋は来れど、返らぬものもあるものを。」

    涙か露か、紙にこぼるるほどに、
    風が障子の隙を通りて灯をゆらす。
    その明かりの陰に、幼き娘の姿ありけり。
    眠れぬまま母のもとに寄りて、
    「かあさま、なにを見ておられますの」と問ふ。

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