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やりくり上手?年収に対しての貯金額
25/08/19 14:40:57
匿名の老学者より 25/08/17 15:30:45 僭越ながら、戦前を知る者として申し上げたい。戦争の犠牲になった方々を悼む気持ちは日本人として当然であるが、八月十五日に政治家がマスコミを引き連れて靖国神社に参拝するのは感心しない。なぜなら、それは政治的パフォーマンスに過ぎぬからだ。靖国神社のすぐ近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。南方をはじめとする戦地で銃弾や病や飢えに斃れ、あるいは国内で空襲の犠牲となり、引き取り手がなかった方々の遺骨を収めた墓苑であり、建物を構成する石材には、激戦地の石が使われている。遺骨を回収できなかった方々の魂がそこに宿るという思いからであろう。あれこそ真に戦没者を悼む施設であるが、そこに献花する政治家は少ない(うち1人は石破茂君であり、彼はそれだけでも評価に値する)。一方で、靖国神社はあまりにも政治的な場所だ。そもそもは明治政府が神武天皇を神格化した国家神道なるものを興し、国家統制のシンボルとして利用するために創建した歴史の浅い神社である。そのため、明治政府に楯突いた西郷隆盛は日本史上最大の英霊なのに祀られておらず、一方で幕末にフランス人を殺傷して切腹に処された土佐人(現代の国際法はもちろん、当時の国際法に照らしてもただの犯罪者である)が祀られていたりする。日清日露、大東亜戦争へと向かう戦争の時代の中で、靖国神社はさらに国家統制と軍国主義=ファシズムの象徴としての色合いを濃くし、国の犠牲となって死ぬことを美化する装置として利用されてきたことは疑いの余地がない。さらには戦後、国民を愚劣な戦争の惨禍に叩き込んだ指導者たちも合祀された。平和な時代の人々の良心によって、靖国神社に戦没者を悼む場所としての性質が芽生えたことは否定せぬが、遊就館に展示される零戦、戦車、カノン砲は何であろう? それを千鳥ケ淵戦没者墓苑の石と比較するとき、ファシズムの残滓を見る思いがするのは私だけではあるまい。今、これみよがしに靖国神社に参拝する政治家の顔ぶれを見るがよい。いずれも国家統制と軍事力の強化を信条とする者たちである。彼らの戦没者を悼む気持ちはニセモノであると看破する。私は今年で百マイナス一歳、白寿であるが、足腰の立つ限り、千鳥ケ淵戦没者墓苑への献花と地元の戦没者慰霊碑への参拝を続けたいと思っている。それが私の戦いである。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.89 輝く瞬間を楽しもう
25/08/19 14:40:57
匿名の老学者より
25/08/17 15:30:45
僭越ながら、戦前を知る者として申し上げたい。戦争の犠牲になった方々を悼む気持ちは日本人として当然であるが、八月十五日に政治家がマスコミを引き連れて靖国神社に参拝するのは感心しない。なぜなら、それは政治的パフォーマンスに過ぎぬからだ。靖国神社のすぐ近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。南方をはじめとする戦地で銃弾や病や飢えに斃れ、あるいは国内で空襲の犠牲となり、引き取り手がなかった方々の遺骨を収めた墓苑であり、建物を構成する石材には、激戦地の石が使われている。遺骨を回収できなかった方々の魂がそこに宿るという思いからであろう。あれこそ真に戦没者を悼む施設であるが、そこに献花する政治家は少ない(うち1人は石破茂君であり、彼はそれだけでも評価に値する)。一方で、靖国神社はあまりにも政治的な場所だ。そもそもは明治政府が神武天皇を神格化した国家神道なるものを興し、国家統制のシンボルとして利用するために創建した歴史の浅い神社である。そのため、明治政府に楯突いた西郷隆盛は日本史上最大の英霊なのに祀られておらず、一方で幕末にフランス人を殺傷して切腹に処された土佐人(現代の国際法はもちろん、当時の国際法に照らしてもただの犯罪者である)が祀られていたりする。日清日露、大東亜戦争へと向かう戦争の時代の中で、靖国神社はさらに国家統制と軍国主義=ファシズムの象徴としての色合いを濃くし、国の犠牲となって死ぬことを美化する装置として利用されてきたことは疑いの余地がない。さらには戦後、国民を愚劣な戦争の惨禍に叩き込んだ指導者たちも合祀された。平和な時代の人々の良心によって、靖国神社に戦没者を悼む場所としての性質が芽生えたことは否定せぬが、遊就館に展示される零戦、戦車、カノン砲は何であろう? それを千鳥ケ淵戦没者墓苑の石と比較するとき、ファシズムの残滓を見る思いがするのは私だけではあるまい。今、これみよがしに靖国神社に参拝する政治家の顔ぶれを見るがよい。いずれも国家統制と軍事力の強化を信条とする者たちである。彼らの戦没者を悼む気持ちはニセモノであると看破する。私は今年で百マイナス一歳、白寿であるが、足腰の立つ限り、千鳥ケ淵戦没者墓苑への献花と地元の戦没者慰霊碑への参拝を続けたいと思っている。それが私の戦いである。
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