• No.56 百聞は一見に如かず

    25/05/21 12:51:07

    教育史、民俗史的な観点からの真面目な話。学校がなかった時代、近代学制が明治政府によって布かれる前は地域共同体が子どもを育てて一人前にする機能があった。毎年祭りなどの年中行事があり、子どもも年齢に応じて属すべき組織があり、種々の役割が与えられそれをこなした。家族を含め地域共同体が子どもの通過儀礼を注視、見守る事で子どもは特別感を感じ、自覚して大人に近づいていった。近代以前において子どもの成長を見守るのは親だけでなく共同体の大人たち。社会的指導は共同体の大人や先輩の役割。(ある種の資本主義的な経済が発達した江戸時代の市中では読み書きそろばん教育はアウトソーシングされ寺子屋に委託。そこでは現在の授業参観や書き初め競書行事、和算の披露会のようなものもあった。これも一種のお祭り)
    明治以降は近代的な国力を身につけるため、それにあわせて欧米式の教育も取り入れられ、教育の成果=政治の成果が地域の学校で発表される事になる。それと同時に以前からの共同体の慣習もあり、体育祭や学芸会は親だけでなく地域のイベントとして成立していった。子ども、家庭、地域が国家と結びつく意味もあった。行事は形を変えながら連綿と続いているが、歴史的な背景はこんな所だと思う。
    親や地域が見守り発表の場が与えられるってのは子どもが一人前になる過程で必要なことなんじゃない?。ギャラリーは単なる野次馬ではないのよ。必要性があるんだわ。ギャラリーがいることで子どもは参観や行事の時のの緊張感や特別感を感じる。練習にも力が入る。その姿を通して子どもの成長を感じる人は多いと思う。双方にメリットはあるよ。

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