• No.1 咲良うた

    25/03/29 23:16:38

    ☆やなせたかし(本名・柳瀬嵩)
    1919年(大正8年)東京生まれ
    1924年に新聞記者の父が中国で他界して父の親戚のいる高知市に母と移住
    弟は医師の伯父に引き取られ、母が再婚したのを機に嵩は母と別れて伯父や弟たちと暮らす
    官立旧制東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部デザイン学科)卒業後、田辺製薬に就職するが1941年徴兵される
    弟が戦死する
    戦後、戦友の誘いでくず拾い会社で拾った雑誌がきっかけで漫画家を目指す
    高知新聞社に入社。社会部から「月刊高知」編集部に異動して編集と漫画や表紙絵も担当。同じ編集部の小松暢に一目惚れ
    暢の上京を機に嵩も退職して上京
    1947年(昭和22年)暢と結婚。三越に入社し宣伝部でグラフィックデザイナーをしながら漫画家と兼業する
    1953年三越を退職して専業漫画家になる
    漫画家としての仕事が少なかったが、舞台美術制作や放送作家などその他の仕事のオファーが次々と舞い込むようになり、生活的に困窮することはなかった
    1960年ころからサンリオと交流を深め、出版業をはじめたサンリオから出版された詩集「愛する詩」が大ヒット
    絵本の執筆を開始し1969年「アンパンマン」登場。開始当時はアンパンマンは大人向けのアンチヒーローだった。姿はアンパンを持ち歩く普通の人間のオジサンだった
    1960年(昭和35年)永六輔作演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を手掛けた際に作曲家いずみたくと知り合い、翌1961年に『手のひらを太陽に』を作詞
    1973年(昭和48年)雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げ編集長になる
    「漫画家の絵本の会」も立ち上げて詩人と漫画家を本格的に兼業
    フレーベル館月刊絵本「キンダーおはなしえほん」の一冊「あんぱんまん」として発表。オジサンを架空のキャラクターにしたが保護者や教育関係者らに「貧困に苦しむ人々を助ける」内容が未就学児には難解だとバッシングを受ける。だがその後幼児層に絶大な人気を得る。アンパンマンは当初8頭身から3頭身に変更した

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  • No.2 咲良うた

    25/03/29 23:17:21

    >>1 つづき

    1988年(昭和63年)アニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始し大ヒット
    1991年 (平成3年)勲四等瑞宝章受章
    1996年(平成8年)7月高知県香美市に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館
    1992年(平成4年)から高知で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」には立ち上げ時から深くかかわり、晩年まで審査委員長を務めた
    2000年(平成12年)日本漫画家協会理事長に就任
    2004年新宿区名誉区民
    2011年高知県名誉県民
    2011年頃から目の不調で引退も考えていたが東日本大震災直後「アンパンマンのマーチ」が復興のテーマソング的扱いをされたり、「笑顔を失っていた子供たちがアンパンマンを見て笑顔を取り戻した」といった良い話が嵩の元に届いたことから引退を撤回した
    2012年日本漫画家協会理事長を退任して会長になる
    2013年(平成25年)8月心不全により死去 享年94歳

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