• No.1 健大高崎(群馬)

    24/08/11 22:41:46

    「活動再開を前提に、一時的に活動休止することで『区切り』、つまり『みそぎ』にします」と宣言しているように受け取られる。仮にそれがフワちゃんの「本心」だとしても、今、書くことではなかった。もし、私が助言を求められていたら、確実に「カットすべき」と伝えていた。

     発表文には「活動休止期間中は自分のことを見つめ直す時間にできればと思っております」とも書かれている。この文章は一見するともっともらしく思えるが、よく考えてみると、そこには「自分のこと」しか書かれていない。

     今回の事態を受けてフワちゃんのCMを止めたGoogleが「Googleは、他者を尊重しない行為に関しては厳格なポリシーを有しています」と述べ、フワちゃんの番組降板を決めたニッポン放送が「他者を尊重しない誹謗中傷する行為については決して認めることができないと考えております」とコメントしている通り、この問題の本質は「他者の尊重」を欠いた点にある。それなのに活動休止の発表に「自分のこと」しか書いていないのでは、「事の本質をまだ分かっていないのではないか」と読者に思わせてしまう。

     こうした活動休止発表文の表現の問題は「重箱のすみ」というより、フワちゃんが今回の件を真剣に受け止めているのかという「真ん中」の部分に疑念を抱かせるものではないだろうか。活動休止に伴って改めて投稿を謝罪し、「今回の問題と真摯に向き合い、SNSの発信などについて考え直す機会にしたい」と宣言して、その後の復帰については何も言わず、世間の受け入れに委ねる。それが素直な対応だと思うが、なぜそうならなかったのか。

    迷走し続ける対応「助言できる“大人”がいないのか」
     振り返ると、フワちゃんの暴言騒動への対応は迷走し続けた。今月8日に発表した謝罪文では「問題の投稿は携帯電話の誤操作だ」という弁明をし、「言い訳に無理がある」と再炎上する騒ぎにもなっている。こうした一連の経緯を見ていると、フワちゃんの周りには問題の本質が何かを説明したり、世間へのメッセージの出し方や表現について助言できる「大人」がいないように見えてならない。

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