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- 24/02/01 16:16:22
遠藤被告は2021年10月の深夜、甲府市の住宅に窓ガラスを割って侵入し、住人のAさん(55=当時)、その妻Bさん(50=同)を斧で多数回殴打した上、刃物で複数回刺して殺害。遠藤被告は夫妻の長女・Cさんと同じ高校に通っていたが、次女・Dさん(14=同)の頭部にも斧を振り下ろし頭部裂傷の傷害を負わせた。その後、住宅を放火し全焼させたとされる。
遠藤被告は好意を寄せる後輩のCさんに交際を断られ、LINEのアカウントをブロックされたことをきっかけに凶行に走った。あまりに身勝手な動機と残酷な犯行内容に、ネット上では遠藤被告を“モンスター”と呼ぶ声も少なくない。
昨年11月13日に行われた裁判員裁判では、弁護側証拠として被告人の母親の調書が読み上げられた。そこで明らかになったのは、被告の生い立ちである。遠藤被告が小学2年生のとき、給湯器の窃盗で実父が逮捕された。執行猶予判決を受けたものの、事件が近所に知れ渡り、遠藤被告は肩身の狭い思いをしたという。友人ともトラブルになり、小学校を休みがちになったと明かされた。
のちに別の学校に越境通学するようになってから、幼い被告の精神は一時持ち直した。一方で、両親は離婚。まもなく母親はパート先で出会った男性と再婚し、養子縁組によって再婚相手の男性が被告の養父となった。しかし新たな家庭は、被告にとっては決して居心地の良いものではなかったらしい。
「被告が小学6年生のとき、妹が生まれました。すると養父が『部屋が狭くなるから、アパートの隣の部屋を借りて、被告の部屋にしよう』と提案し、母親もそれに賛成しました。母親は調書で『被告を邪魔者扱いしていた印象はなかった』と述べていましたが、もともと心臓が悪くペースメーカーを入れていた養父の検査結果が思わしくないことがわかってから、新しい家族にもまた、暗雲が立ち込めはじめたようです」
養父が母親を怒鳴りつけ、被告が庇うこともあった。母親は調書で、「料理の仕方や出し方について文句を言われることが増え、被告が私を庇うことが何度もあった。私が責められる姿を見たくなかっただろうし、養父が許せなかったのだろう」と振り返っている。
いつしか被告は養父とふたりきりになることを避けるようになり、中学1年生の半ばから不登校に。2年生の頃には食事がとれない状態になり、小児科で起立性調節障害と診断され、即入院が決まった。被告が中学2年の夏に養父は病死したが、倒れる直前の暴力は一層激しいものになっていた。調書で被告の母親は「殴られて生活に限界がきていた。いずれは出ていこうと決意していた」とも明かしている。
被告は生前の養父と母親と3人で川遊びに出かけ、川の中で尻もちをついてしまったことがあったが、養父は笑って見ていて助けてくれなかったことを振り返りながら、〈人を信用できないって初めて思った〉と、被告は当時、母親に言っていたのだそうだ。
・定時制高校では生徒会長も務めた被告
厳しい家庭環境にありながら、被告はなんとか中学3年生から別室登校を始め、定時制高校に進学。良い就職先を掴もうと、一念発起して無遅刻無欠席の優等生となり、生徒会長にも選ばれた。しかし、高校卒業後の進路は実母に勝手に決められてしまった。
事件の被害者であるCさんにLINEをブロックされたのは、そんな時期の出来事だった。
「『高校での努力は全て無駄だった。やりたくない仕事に就き、稼いだ金を母親に取られる生活になる。何もいいことはない。生まれてこなければよかった』という思いから“極端に将来を悲観し、絶望した気持ちがついに爆発して、もともと持っていた残虐行為への興味が結びつき事件を起こした”と、弁護側は主張しています。
なお、こういった陳述の最中、遠藤被告が両手で耳を塞ぐ姿がよく見られました。自身の生い立ちが語られたときは、時折目元をティッシュで抑えているようでした」
死刑を言い渡し、控訴の説明をした後、裁判長は「考えることを諦めないでください」と被告に伝えた。被告は頷いて目をこすり、涙している様子だった。
https://www.news-postseven.com/archives/20240119_1935528.html?DETAIL
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