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- 23/09/23 22:21:16
息子死なせた加害者、全財産は7000円 謝罪も賠償もないまま母国へ…
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/84134d7334eeba456bdb341182fd0eb06e43e7b0
■母国でも免許を取ったことがなかった加害者
眞野さんの長男・貴仁さん(当時19)は、2011年10月30日、この交差点を自転車で横断中、車にひき逃げされ亡くなりました。
大学生活を謳歌していた貴仁さんの命を一瞬にして奪ったのは、Mというブラジル国籍の男(当時47)でした。
10月29日の夜、名古屋市内でハロウィンパーティーに誘われたMは、車を運転し、名古屋市中区のディスコに出かけました。
本人の供述によると、この店で友人数名と共に、テキーラをショットグラスで6杯、生ビールを中ジョッキ3杯ほど飲み、今度は小牧市内のナイトバーへ行くため、午前3時半頃、再び車を運転して走り始めたのです。
間もなくMは、信号待ちで停止していた車に追突しました。しかし、警察に捕まるのが怖くなって逃走し、国道からわき道に入ります。そして、前照灯を消したまま一方通行を逆走。午前3時49分、「清水3丁目」の交差点で、友達の待つカラオケ店に向かおうとしていた貴仁さんに衝突したのです。
貴仁さんは自転車もろとも加害車の進行方向にはね飛ばされ、道路に投げ出されました。
しかしMは、血を流して路上に横たわる貴仁さんを救護するどころか、車から降りることもせず、クモの巣状に割れたフロントガラスの隙間から前をのぞくようにしてアクセルを踏み込みました。そして、民家の塀に車をぶつけながら、タイヤをバーストさせた状態でさらに逃走を続けたのです。
警戒中の警察官によって確保されたのは、それから約1時間半後、午前5時半頃のことでした。
このときの所持金は7000円。
「これが全財産だ」
Mはそう供述していたといいます。
眞野さんは語ります。
「Mは、ブラジル・サンパウロ州の高校を卒業後、農業などを経て日系三世の女性と結婚。32歳のとき友人のつてを頼って日本に入国し、愛知県の派遣会社に登録したそうです。その後、就職した自動車部品会社で『派遣切り』にあい、事故を起こすまでの約1年間は無職でした。次の就職先が決まったのは、事故の2週間前です。この会社には従業員用の送迎バスがあり、通勤にマイカーを使う必要はありませんでした。そもそも、Mは母国ブラジルでも運転免許を取ったことがなかったそうです。にもかかわらず、車検も自賠責保険も切れていた元妻名義の車をそのまま乗り続け、結果的に息子は、その車に殺されたのです」
■「無免許でも長く乗っていれば技術がある」と検事は言った
無免許、飲酒、当て逃げ後の逆走、無灯火、無車検、無保険……、これほどの悪質運転で引き起こされた死亡事故であり、ひき逃げ事件です。誰もが「危険運転致死罪」で起訴されるものだと思っていました。
しかし、Mは、「自動車運転過失致死罪」と「道路交通法違反」で起訴され、結果的に「過失」としては最も重い、懲役7年の実刑判決が下されました。
眞野さんはこの刑事裁判に、今も納得できないと言います。
「私は名古屋地検の検察官に、何度も危険運転で起訴すべきだと訴えました。しかし、返ってくるのは、『本件には危険運転にあたる要件はひとつもない』という答えでした。たとえ飲酒していたことが事実でも、『逮捕された後、片足でまっすぐに立てたので、飲酒運転とはいえない』『逆走は危険運転には当たらない』『無免許でも、長い間乗っていれば技術がある』検察官はそう繰り返しました。交通事故にはどうしても避けられないような不幸な事故もあるはずです。死亡事故だからと言って、すべて厳罰化だ、懲役だと言うつもりはありません。でも、Ⅿは酒を飲んでハンドルを握った、それ以前に無免許です。クルマを運転する資格がないということです。それはもう、過失では済まされないと思うんです」
眞野さんはMを相手に民事裁判を起こし、約4000万円の損害賠償が認められました。
しかし、Mには資産が一切なく、自動車保険もかけていませんでした。たとえ眞野さんが勝訴しても、その判決文が紙切れに過ぎないことは、最初から承知の上での裁判でした。
続き >>1 ■遺族に謝罪も賠償もせず黙って母国ブラジルへ帰国していた加害者
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