- なんでも
- 山城守
- 22/12/26 20:55:24
SDGsとはご存じの通り「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」のことである(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html 外務省ホームページ)。
しかし、当節において、「持続可能」とは到底言えないものまで「SDGs」と喧伝される嫌いがある。
その例を幾つか挙げたい。
河口 真理子氏は伊勢神宮で執り行われている式年遷宮をSDGsとして取り上げている(https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/esg/20160624_011010.pdf 河口 真理子『伊勢神宮の式年遷宮「常若」から学ぶ和のサステナビリティ<訂正版>~持続可能な開発目標(SDGs)達成にむけて~』p3)。
しかし、式年遷宮は20年に1度という期間で行われ、一度に檜1万本を要し、大半は直径 60cm 以上の樹齢 200 年以上のものである(同著p8)。
樹齢200年の樹木を1度に1万本伐採する事業を20年に1度行うという仕組が「持続可能」なはずがなく、同氏が式年遷宮をSDGsとして紹介したその論理は完全に破綻している。
以上が「持続可能」とは到底言えないものまで「SDGs」と喧伝されるその一例である。
もう一例を挙げたい。
谷 和樹氏は原子力発電を二酸化炭素の排出がないこと等を理由にSDGsとして紹介している(https://ieei.or.jp/2019/05/opinion190531/)。しかし、原子力発電には使用済み核燃料の処理問題もあるし、ウラン埋蔵量は2017年1月時点で可採年数99年(https://www.yonden.co.jp/cnt_kids/chapter2/resources/quantity-years.html 四国電力)と決して「持続可能」とは言えない。
「SDGs」という言葉はまやかしの言葉に成り下がっていないだろうか。
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