- なんでも
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京都産業大学教授、所功先生 専門は日本法制史
『過去8人10代にわたる女帝がおられましたことに関して大事だと思われますのは、8世紀初頭に完成した「大宝令」に「継嗣令」という篇目がございます。これは「養老令」もほぼ同文だということが確認されております。それを見ますと、冒頭に「およそ皇兄弟と皇子、皆、親王と為す」とあり、そこにもともと注が付いておりまして、それに「女帝の子も亦同じ」とあります。その後にまた本文がありまして、「以外は並びに諸王と為す」という条文がございます。
この本文と、それに付けられた原注から、私どもが考えられますことは、天皇たり得るのは、男性を通常の本則としながらも、非常の補則として「女帝」の存在を容認していたということであります。』
中略
『「女帝の子」というものは何を意味するかということです。明治18年(1885年)に小中村清矩という先生が「女帝考」という論文を書かれまして、その中で「女帝未ダ内親王タリシ時、四世以上ノ諸王ニ嫁シテ……生レ玉ヒシ子アラバ、即位ノ後ニ親王ト為スコトノ義」と解釈されております。
つまり、「女帝の子」と言っても、決して女帝になられてからのお子さんということではなくて、それ以前にお生まれになった方、具体的には皇極天皇が初め内親王として高向王(用明天皇の孫)と結婚されまして、その間に漢皇子という諸王が生まれています。そのような方も母の内親王が即位されることによって親王の扱いを受けるという意味に解しておられます。
確かに、私も大宝前後の実情と照らし合わせてみれば、女帝が即位後に結婚もしくは再婚して御子をもうけられ、その御子が続いて即位するという、いわゆる女系継承まで容認した、もしくは予想したものとは考え難いと思っております。
ただ、仮にそうだとしましても、この「継嗣令」の規定では、内親王が結婚できるのは4世以上の諸王、つまり皇族でありますから、それでも男系継承は維持されるということになろうかと思います。
いずれにしましても、注記であれ、「大宝・養老令」に「女帝」の存在が明記されていることの意味は大きい。ただ、これを根拠にして、「女帝は男帝と何ら変わるところのないものとして日本律令に規定されてきた」とまでみる説は、やはり言い過ぎであろうと存じます。』
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7siryou3.html- 0
21/12/02 02:48:31