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早期教育に否定的な人は僻んでる?
21/06/13 12:56:42
この事件から3日後の12日夜、健治さんの姿は、捜査している和歌山東署にあった。事情聴取の直後、健治さんは涙ぐみながら記者にこう語った。 「Bちゃんは長女Aの娘、ワシと眞須美の初孫やろ、居ても立っても居られずに警察に行った。捜査の担当者と話したが、まだ捜査中で、ハッキリとは言えない様子だったが、1時間近く話をした。自殺したのはうちの長女で一緒に亡くなったのはCであるのは間違いないようだ」 健治さんと記者の一問一答は次の通り。 ―最後に長女Aさんや孫のBさんに会ったのは? 「1998年10月に眞須美と一緒に詐欺で逮捕されて、ワシは刑務所に行きや。滋賀刑務所から出所して数か月ほどした、2005年夏ころかな。長女AがBちゃんを連れて、会いに来てくれた。本当にかわいい孫だった。2人と会ったのは、それっきりや。その後、長女は当時の夫といろいろ揉めて、離婚。それもあってか、ワシのところに来づらくなったのかもしれない。それでも長男を通じて、元気にしているとは聞いていた。長女はきょうだいの中では、一番に気丈でしっかりした子だったので、何ら心配していなかったのに…」 ―事件を聞いて思い当たることは? 「まったくわからない。こんなことになる前に何か相談をしてほしかった」 ―新たに出された眞須美死刑囚の再審請求と関係があるのか? 「長女やBちゃんの事件は再審請求される前日のこと。それも知らなかったはず」 ―警察はBさんが虐待を受けていた疑いがあると捜査している。 「長女の自殺後、そういう質問がマスコミからたくさん来ているが、実態はよくわからない」 ―長女の夫はBさんが病院へ運ばれた時、救急車に乗って付き添ったそうだが、面識は? 「長女が再婚したと聞いていたが、夫とは会ったことはない。警察はこれから夫に話を聞いて、真相解明するのでと教えてくれた」 ―AさんやBさんとの思い出は? 「長女は眞須美との間にできた4人の子供の最初の子や。制服姿で緊張していた幼稚園の入園式、楽しそうにしていた小学校の運動会、思い出は尽きない。Bちゃんとは1回しか会っていないが、目がクリっとして愛くるしい表情、小さな手は今も目に浮かぶわ。なぜこんなことになってしまったのか…。つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない」 和歌山カレー事件を長い間、取材した記者は亡くなった健治さんの長女Aさんとは面識があった。両親の支援集会や弁護団会議によく姿を見せていたのでAさんと話す機会が何度もあったのだ。 「お母さんは絶対にカレー事件はやってない。私も事件の日は何度かカレーの調理現場に行って、様子を見ているから間違いない」 Aさんは熱心に眞須美死刑囚の無実を訴えていた。4人きょうだいの一番上だったAさんは事件当時、まだ中学生だった。両親の逮捕後は施設で過ごすことになった。事件直後、記者は何度も林家に取材に行った。多くの記者が自宅を訪れると、一番下の妹をさりげなく、見えないところに連れて行き、配慮するAさんの姿をよく見かけた。 「事件でマスコミが大挙して押しかけて来た頃、妹には事情をわかってほしくないから遠ざけるようにしていた。私は母も父もカレー事件には関係していないので、絶対に逮捕されないと信じていた」 Aさんは当時の心境をこう振り返って話してくれた。長女らしく、きょうだいのまとめ役で、両親が逮捕された後、和歌山市内の拘置所に行き 「お父さんを返せ、お母さんを返せときょうだいを引き連れて拘置所の前で大声で怒鳴ったこともあった」とAさん。 弁護団会議の取材で会った当時はもう就職し、ガス器具販売のセールスの仕事についていた。 「私、営業成績がけっこうええねん。お母さんも保険でバリバリと売っていたからそのおかげかもしれへんわ」 Aさんは記者にこう打ち明けてくれた。20歳代前半で結婚し、生まれたのがBさんだった。幼いBさんの写真を手にしながらAさんは「本当にかわいいでしょう」と顔をほころばせていた。仕事も家庭も充実していたように見えた。 だが、健治さんによれば、Aさんは後に離婚。数年前には、別の男性と結婚し、新しい家庭を持った矢先の出来事だった。ご冥福をお祈りするばかりだ。
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No.321 シマチョウ
21/06/13 12:56:42
この事件から3日後の12日夜、健治さんの姿は、捜査している和歌山東署にあった。事情聴取の直後、健治さんは涙ぐみながら記者にこう語った。
「Bちゃんは長女Aの娘、ワシと眞須美の初孫やろ、居ても立っても居られずに警察に行った。捜査の担当者と話したが、まだ捜査中で、ハッキリとは言えない様子だったが、1時間近く話をした。自殺したのはうちの長女で一緒に亡くなったのはCであるのは間違いないようだ」
健治さんと記者の一問一答は次の通り。
―最後に長女Aさんや孫のBさんに会ったのは?
「1998年10月に眞須美と一緒に詐欺で逮捕されて、ワシは刑務所に行きや。滋賀刑務所から出所して数か月ほどした、2005年夏ころかな。長女AがBちゃんを連れて、会いに来てくれた。本当にかわいい孫だった。2人と会ったのは、それっきりや。その後、長女は当時の夫といろいろ揉めて、離婚。それもあってか、ワシのところに来づらくなったのかもしれない。それでも長男を通じて、元気にしているとは聞いていた。長女はきょうだいの中では、一番に気丈でしっかりした子だったので、何ら心配していなかったのに…」
―事件を聞いて思い当たることは?
「まったくわからない。こんなことになる前に何か相談をしてほしかった」
―新たに出された眞須美死刑囚の再審請求と関係があるのか?
「長女やBちゃんの事件は再審請求される前日のこと。それも知らなかったはず」
―警察はBさんが虐待を受けていた疑いがあると捜査している。
「長女の自殺後、そういう質問がマスコミからたくさん来ているが、実態はよくわからない」
―長女の夫はBさんが病院へ運ばれた時、救急車に乗って付き添ったそうだが、面識は?
「長女が再婚したと聞いていたが、夫とは会ったことはない。警察はこれから夫に話を聞いて、真相解明するのでと教えてくれた」
―AさんやBさんとの思い出は?
「長女は眞須美との間にできた4人の子供の最初の子や。制服姿で緊張していた幼稚園の入園式、楽しそうにしていた小学校の運動会、思い出は尽きない。Bちゃんとは1回しか会っていないが、目がクリっとして愛くるしい表情、小さな手は今も目に浮かぶわ。なぜこんなことになってしまったのか…。つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない」
和歌山カレー事件を長い間、取材した記者は亡くなった健治さんの長女Aさんとは面識があった。両親の支援集会や弁護団会議によく姿を見せていたのでAさんと話す機会が何度もあったのだ。
「お母さんは絶対にカレー事件はやってない。私も事件の日は何度かカレーの調理現場に行って、様子を見ているから間違いない」
Aさんは熱心に眞須美死刑囚の無実を訴えていた。4人きょうだいの一番上だったAさんは事件当時、まだ中学生だった。両親の逮捕後は施設で過ごすことになった。事件直後、記者は何度も林家に取材に行った。多くの記者が自宅を訪れると、一番下の妹をさりげなく、見えないところに連れて行き、配慮するAさんの姿をよく見かけた。
「事件でマスコミが大挙して押しかけて来た頃、妹には事情をわかってほしくないから遠ざけるようにしていた。私は母も父もカレー事件には関係していないので、絶対に逮捕されないと信じていた」
Aさんは当時の心境をこう振り返って話してくれた。長女らしく、きょうだいのまとめ役で、両親が逮捕された後、和歌山市内の拘置所に行き
「お父さんを返せ、お母さんを返せときょうだいを引き連れて拘置所の前で大声で怒鳴ったこともあった」とAさん。
弁護団会議の取材で会った当時はもう就職し、ガス器具販売のセールスの仕事についていた。
「私、営業成績がけっこうええねん。お母さんも保険でバリバリと売っていたからそのおかげかもしれへんわ」
Aさんは記者にこう打ち明けてくれた。20歳代前半で結婚し、生まれたのがBさんだった。幼いBさんの写真を手にしながらAさんは「本当にかわいいでしょう」と顔をほころばせていた。仕事も家庭も充実していたように見えた。
だが、健治さんによれば、Aさんは後に離婚。数年前には、別の男性と結婚し、新しい家庭を持った矢先の出来事だった。ご冥福をお祈りするばかりだ。
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