「限界だった」たった1人の介護の果て なぜ22歳の孫は祖母を手にかけたのか (4ページ)
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ママ達の声
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>>15
でも、最低でも月15万くらいはかからない?
この子供たちに払えるとは思えない。 -
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No.
- 23
- あ
- 20/10/28 22:06:07
>>7ちょっと違ってたから訂正
社会の中で償いの道を歩む女性だが、親族のサポートは期待できなそうだ。女性の父は、判決後の毎日新聞の取材に対し「刑務所に入るべきだ。『介護をやらされてかわいそう』との前提で判決が出ている。妹(叔母)とも話したが同じ思いだ。今後連絡することもないし、親としての愛情はない」と突き放した。
代理人弁護士によると、女性は保護観察所を通じて住む部屋を見つけ、就職活動を始めたが、採用を問い合わせたある幼稚園に「ブランドイメージがありますから」と断られた。最近、ようやく事務職のパートを見つけたが、着る服にも事欠く生活が続いているという。 -
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No.
- 22
- 毛利隆元
- 20/10/28 22:06:06
職場人もうそつきだなんて酷いな。幸せになって欲しいな。
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No.
- 21
- 斎藤道三
- 20/10/28 22:06:05
そもそも祖母も孫に対してモラハラしてたんだよね。それで精神病んで叔母に引き取られたけど、またそこでモラハラ。父親は何してんの?ホント最低。
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No.
- 20
- 甲斐宗運
- 20/10/28 22:06:01
父親と叔母がとにかく最低すぎる
口だけで何も手伝わなかったくせに!
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No.
- 19
- 毛利勝永
- 20/10/28 22:05:59
叔母と実父がクソ過ぎて
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No.
- 18
- 織田信長
- 20/10/28 22:05:44
読んでるだけで泣きそう。キツい身内も介護も本当に大変…
頑張ったよ -
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No.
- 17
- 明智光秀
- 20/10/28 22:05:20
なんて可哀想なの!どうか幸せになって欲しい。
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No.
- 16
- 石田三成
- 20/10/28 22:05:14
私も90過ぎの祖母のこと大好きだけど一緒には住めない。認知症ではないけどやっぱり何度も同じ話はするし何かしてて忙しくても話しかけてくるしだんだん寂しさからわがままにもなってきた。
認知症ならもう施設に入れるのがWin-Winだと思う -
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No.
- 15
- ザビエル
- 20/10/28 22:04:41
22歳の孫に背負わせずに親族は施設に入れる選択をすべきだったね
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No.
- 14
- 清水宗治
- 20/10/28 22:04:34
>>10
娘なんてこんなもんかね。
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No.
- 13
- 織田信長
- 20/10/28 22:04:10
>>7
22歳の女性にとってもそんなクソ叔母と父親とは縁切った方がいいよ
どうせクソ父親が年取ったらクソ叔母は22歳の女性にアンタの親でしょとか言ってくるよ
早めに二人と縁を切って欲しい -
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No.
- 12
- 清水宗治
- 20/10/28 22:04:08
三人も実子がいて、しかも認知症なんだから施設入れるだろうに。お金の問題?
幼稚園教諭はお給料少ないのに、一応先生だし短大出てるから押し付けたの?
新人の幼稚園の先生、みんな顔がやつれてる。それくらいハードなんだと思う。さらに介護なんて地獄だわ -
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No.
- 11
- 猿飛佐助(強い)
- 20/10/28 22:03:27
可哀相
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No.
- 10
- 蒲生氏郷
- 20/10/28 22:02:48
叔母クソだな
てめぇがみればよかったんだよ -
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No.
- 9
- 平清盛
- 20/10/28 22:00:43
働きながらの在宅介護はあり得ないする側もされる側も得しない。仕舞いにはこういうことが起きる
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No.
- 8
- 清水宗治
- 20/10/28 22:00:31
とても責任感が強く、優しい人なんだね。
罪を償ったら、彼女の人生が一生平穏で輝くものになりますように。
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No.
- 7
- あ
- 20/10/28 22:00:07
叔母と父親、介護のせいみたいにしていて許せない。二度と会わないみたいなこと言ってるんだよね。
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No.
- 6
- 足軽(弓)
- 20/10/28 21:57:43
このニュースみた時
叔母と父親に怒りを覚えたわ -
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No.
- 5
- 島津家久
- 20/10/28 21:57:31
20年9月9日から神戸地裁で始まった裁判員裁判では、女性が祖母の介護3カ月目、疲労や重度のストレスから腎臓が悪化し、重度の貧血になったことや、「軽いうつ病」との診断を受け、医師からは退職か休職を勧められていたことが明かされた。また、叔母が検察側証人として出廷し「介護は家族みんなで頑張った」と話す一方、ケアマネジャーの女性が「(祖母の)入院を勧めたが、叔母らが拒否した」と証言する場面もあった。
事実関係は争われず、女性の責任能力が争点となった。弁護側が「睡眠不足や介護が起因の適応障害による心神耗弱」を主張したのに対し、検察側は「冷静な行動だった」と完全責任能力を指摘した。
女性に言い渡された判決は、懲役3年、執行猶予5年(求刑・懲役4年)。飯島健太郎裁判長は「適応障害そのものが、犯行に影響を与えていない」としながらも、「介護による睡眠不足や仕事のストレスで心身ともに疲弊し、強く非難できない」と結論づけた。また、「叔母の意向に反して介護負担を軽くする策をとることはできなかった」と親族間の関係性を指摘。執行猶予がついた理由について「自首して反省を深め、社会内で更生が期待できる」とした。 -
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No.
- 4
- 織田信長
- 20/10/28 21:57:28
>>1
だったらホームに入れろ
何で22歳に託す
22歳なんて普通の子なら皆遊んでるぞ -
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No.
- 3
- 島津家久
- 20/10/28 21:55:52
誰が祖母を介護するのか。神戸市内で清掃会社を経営する伯父は仕事に忙しく、父は手足がしびれる病気だった。叔母にも小さい子供がいた。「おばあちゃんに学費を出してもらったんや。あんたが介護するのが当然やろ」。叔母の一声で、介護は女性が担うことになった。幼稚園教諭として働き始めて1カ月後、7年ぶりに祖母との同居が始まった。
この頃、女性は高校の同級生だった親しい友人に、「祖母の介護を始めて、おむつ代や食費も自分で出している」と打ち明けている。慣れない仕事への戸惑いもこぼした。連日上司や同僚に怒られ、職場で介護の話をしても「ウソつき」と、取り合ってもらえなかったという。
祖母は平日の日中こそデイサービスに通ったが、夜間や土日は自宅にいる。女性は毎日、仕事から帰宅した後、祖母に夕食を食べさせた。1~2時間おきにトイレに連れていき、排せつすればシャワーを浴びさせた。深夜の散歩に付き合った。1日2時間ほどしか眠れなかった。
同居を始めて2週間で、女性は限界を察した。「介護は無理かもしれん」。父と叔母に伝えた。
女性と親族の関係は特殊だ。中学から短大時代まで身を寄せた叔母の家では、「許可がないと遊びに行けない」と友人にこぼし、叔母の子供の面倒をみるために学校の早退や部活を休むことがよくあったという。
裁判で検察官が読み上げた供述調書によると、伯父は女性について「明るく優しい子。きょうだいが母の世話を任せきりにしていた。重い罪は望まない」と話した。
だが、「無理かも」とこぼした女性に、叔母は「それくらいコントロールできるやろ」と言うだけだったという。女性は祖母を担当するケアマネジャーと直接連絡を取ることも禁じられ、何を言っても「あなたが面倒をみて」。事件が起きたのは、そんな生活が5カ月続いた末のことだった。
事件当日は、朝からどんよりと曇っていた。まだ暗い午前5時半、女性は隣で寝ていた祖母に「汗をかいた」と起こされた。
体をタオルで拭いたが、「親をないがしろにする」と怒鳴られた。孫の自分を娘と勘違いしたのだろうか。お湯でタオルを温めて拭き直したが、今度は「あんたがおるから生きていても楽しくない」と言われた。
「ごめんね、ごめんね」となだめたが、祖母の非難はやまなかった。気づくと、祖母の体をベッドに押し倒していた。
「もう黙って……」
手には、スヌーピーとピンクのハート柄が入ったフェースタオル。両手で祖母の口に押し込んだ。祖母は数分で動かなくなった。
「おばあちゃんを殺してしまいました」。自殺未遂を図った末、女性は自ら110番した。すぐに警察官がやってきた。
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No.
- 2
- 足軽(長柄)
- 20/10/28 21:55:36
読んでて辛くなった。叔母は人間じゃないね
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No.
- 1
- 島津家久
- 20/10/28 21:54:51
女性が3歳の時に両親は離婚。ともに暮らした母は、小学1年生の時に脳出血で亡くなった。児童養護施設に移された女性を引き取ったのが、父方の祖母だった。学費や生活費を工面してくれ、ピアノも買ってもらった。幼稚園の先生になる夢も応援してくれた「大好きなおばあちゃん」だった。
一方、祖母には気性が激しい面があった。「あんたは借金ばかりつくった母親から生まれたんや」と、女性に存在を否定するような言葉を投げることも少なくなかったという。女性は中学生になると、精神的なバランスを崩すようになった。睡眠薬を大量に飲み、何度も救急車で運ばれた。医師からは「祖母と同居しない方がいい」とアドバイスされ、叔母の家に身を寄せた。
短大に進学し、睡眠薬の服用もなくなった女性は夢だった幼稚園教諭として働くことが決まった。しかし、その頃から祖母の体調が悪化し始めたことで、女性の生活は再び狂い始めた。
19年2月、祖母は自宅前の坂道で転んで入院した。アルツハイマー型認知症と診断され、排せつや身の回りのことが1人でできない要介護「4」と認定された。自宅に戻った祖母は、靴を履かずに深夜にうろつき、近所の家の呼び鈴を鳴らした。「おばあちゃんを一人で家に置いておくのは危ない」。それが親族の総意だった。
No.-
24
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清水宗治