• No.1 直江兼続

    20/10/06 08:43:54

     映画のケースは、被害者の女子中学生にとっては痴漢をされたというショックの中で、「わざわざ駅事務室に来てくれるんだから私の味方だ」と思い込んで、そう聞こえてしまうということは十分あるだろうと考えました。

    [神保] しかも、被疑者の友達と母親が方々でビラを撒いてやっと探し当てたその女性の証言も、裁判官は「それだけでは彼がやっていないことにならない」と判断してしまいます。推定有罪が前提だと、そういう判断になるわけですね。

    [周防] 痴漢事件摘発の経緯を振り返ると興味深いことがわかります。1990年代の初めまで、被害者が被害を訴えても、ほぼ相手にしてもらえなかった。証拠もないのに裁判をしても勝てないと言われて、被害者は泣き寝入りしていた。

     それが1990年代の半ばから、迷惑防止条例違反で摘発するようになります。摘発する以上、犯人を有罪にしなかったら意味がない。裁判所が検察の有罪立証に合理的疑いが残ると無罪を連発したら、またまた被害者が泣き寝入りすることになる。無罪は出しにくいですよね。

    [神保] それで、無理な立証が行われるようになったと。

    [周防] そういう流れができたのだろうと思います。でも立て続けに3件ぐらい無罪が出た年があって、今度は立証のしかたが変わってきます。「確かに触っているその手を見て、間違いなくその手をつかみました」といったように、被害者の供述がより客観的なものになって、誤認逮捕ではないということを強調していくようになった。

    「はっきりとは見ていないが、この人しかいない」といった主観的な供述調書は作られなくなります。つまり警察や検察は、裁判官が何をもって無罪としたかを分析して、どうすれば有罪にできるかということを学習して対策をたてるわけです。供述調書に何をどう書けば有罪になるか、そのテクニックを進化させていく。

     映画制作のときは被害者への取材はあまりできませんでしたが、被害者の中には、自分が捕まえた人が真犯人だと確信している人もいれば、「違うかもしれない」と思っている人もいます。そのときに彼女たちは「警察がきちんと捜査してくれる」と信じています。まさか、やっていない人をやったと決めつけるようなことが行われているとは思っていない。

     ところが警察からすると、現行犯逮捕で被害者が犯人を直接連れてきてくれる事件なので、ある意味楽なのです。被害者の供述調書を上手に作れば、それを証拠に有罪が取れる。だから、まともに捜査はしないです。

    [神保] 被疑者のほうも、本当にやっていない人は、ちゃんと話せばきっと裁判官はわかってくれるはずだと思ってしまう。

    [周防] 自白する人たちの心理として心理学者の浜田寿美男さんは、被疑者は、今目の前にある取調べの苦しみから逃れることを優先して、自白してしまう。なぜなら、本当にやってないのだから、裁判で無実を訴えれば裁判官はわかってくれるはずだと考えるからだ、と書かれています。この心理は理解できます。

    [神保] 警察や裁判官といった権威に対する根拠のない「信頼」が、裏目に出てしまっているんですね。

    2020年8月7日 16:00
    Smart FLASH[光文社週刊誌]

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