- なんでも
- 直江兼続
- 20/10/06 08:43:44
https://news.line.me/articles/oa-flash/ace94d4e78e7
ビデオジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が司会を務めるオンライン討論番組 「マル激トーク・オン・ディマンド」。ゲストに呼ばれたのは、痴漢事件を通して刑事裁判を描いた映画『それでもボクはやってない』(2007年)を監督された周防正行さんだ。
[神保] 痴漢で逮捕された場合、日本では起訴するかどうかを決めるまでに23日間の勾留ができる。この23日という期間が被疑者にとってはとてつもなく長い時間となります。
否認を続けると、起訴後も勾留される可能性が高いし、現在の日本の刑事司法制度の下では、起訴されるとほぼ確実に有罪になる。そのとき、否認を続けた被告は、「反省の色が見られない」としてより量刑が重くなるというおまけまでついてくる。
周防さんの映画の中にも、まさにそんなシーンがありました。弁護士が被疑者に、実際に犯行をやっていてもいなくても構わないので、とにかく罪を認めたほうが得ですよと諭すシーンです。やっていなくても罪を認めてしまったほうが得になるという事態が、実際に日本の司法システムの中に存在しているということですね。
[周防] 一つ面白いなと思ったエピソードは、警察が被害者に言われた通りの状況で再現実験をしてみたら、痴漢できなかったんですね。で、その報告書を隠していた。
ところが、被害者が証人尋問の際に、「警察でも再現実験して確かめました」と言ってしまった。だから、その報告書を出さざるを得なくなった。
要するに、警察はその体勢では痴漢行為はできないということをわかっていたのに、それを隠して裁判をしていたわけです。
[神保] 映画の中でも、被疑者の近くにいた男性が、被疑者の位置からは痴漢はできなかったと証言していたことを知った弁護団が、検察に対してその証拠の開示を請求したら、検察は不見当と答えるだけで、結局、最後までその報告書は開示されませんでした。
[周防] 不見当、つまり「見当たりませんでした」ということです。「ありません」と言うと決定的な嘘になるから、「そのときは見当たらなかった」という言い訳です。
証拠開示については、取材してすぐに、被告人側はすべての証拠を見ることができないまま裁判をしているんだということがわかって非常にショックでした。
宮台 映画で、女子中学生に「この人、痴漢です」と言われた主人公が駅事務所に連れて行かれますが、そのとき被疑者の近くに乗り合わせていた女性が事務所に来て、「この人は犯人じゃないと思います」と言う場面があります。
でも、駅員にきちんと話を聞いてもらえず、その女性は立ち去ってしまいます。主人公は取調べの際に、そう証言してくれた女性がいたことを訴えます。捜査官は彼女のことを探さなければいけないはずなのに、本気で探そうとしません。
さらに、被害者の女子中学生と、その近くにいた小太りの男性が、「その女の人は、『この人が犯人だと思います』と言ってました」と証言してしまう。
映画を見た多くの人は、彼らはなぜそんなことを言うのだと思うでしょう。しかし、あそこで女子中学生と小太りの男性は、主人公が犯人に違いないと思っているので、それに整合するように知らないうちに認知を歪めてしまったのかもしれません。
あるいは、検察に誘導されて証言し、引っ込みがつかなくなったのかもしれない。ある種の認知的整合化です。
[神保] あのエピソードには、そういう狙いがあったんですね。
[周防] はい。アメリカの誤判研究を見ても、目撃証言の誤りが一番多いんです。この人に間違いありませんと言っていたのが、DNA鑑定をしてみると全く違った。それくらい人間の記憶はあてにならない。
続く
- 0 いいね