一条兼定
料理上手は母ゆずり
三浦春馬の両親は食堂経営者 地元の雑誌にも取り上げられる。
サーフィン恩師は明かす
「当時、春馬は中学生、14歳くらいでした。母親が連れてきて、『うちの息子は俳優をやっていて、今度サーフィンの映画の主役が決まったから、サーフィンを教えてやって欲しい』て」
茨城県出身の三浦さんのサーフィンの師匠でもあり、その後、家族ぐるみで交流を続けてきた、つくば市の卯都木睦さん(53)が、最初に三浦さんと会った時のことをそう話した。卯都木さんと三浦さんの母親が知っている共通の居酒屋を通じてつながったという。
映画の収録が終わっても、三浦さんは「サーフィンを続けたい」と卯都木さんの元に通い続けた。
「春馬はサーフィンが楽しくて楽しくて仕方がない感じだった。忙しいスケジュールの中、半日でも空くと、前日にラインで『明日は大丈夫ですか』とメッセージがきました。私や3人の息子たちと一緒にサーフィンをするのが、仕事のストレス解消にもなっていたようです」
三浦さんは地元の中学校を卒業後、東京の高校へ進んだ。この頃は、母親が三浦さんをサーフィンに連れてきていたという。
「海岸で、母親と春馬と待ち合わせて、サーフィンをし、終わったら一緒に食事をすることもありました。とても仲のいい母と息子でした。一人っ子でね」
今から約10年前、三浦さんは外車を購入し、それで茨城まで来るようになったという。サーフィンをするのはいつも鉾田市の海岸。三浦さんは、スピードが出て、波乗りが難しいショートボードを使っていた。身長、体重に合わせて、プロが板を削ったオリジナルのサーフボードを持っていた。
「夜から撮影なのに昼間にサーフィンに来るんです。車には台本を積んでいることもありました。だから帰りは、私が運転して、彼には寝てもらっていました。40~50分でも寝られれば、撮影でもリフレッシュして臨めると言ってました」
卯都木さんは最近の三浦さんについてこう話す。
「昨夏は週に2回くらい来てましたが、今年はコロナの影響で一度も来られなかった。今年3月ごろ、外出自粛だし、サーフィンにしばらく行けないというメッセージをもらってました。そして、500ミリリットルの水のペットボトルを2ケース送ってきました」
三浦さんの死については様々なことが報道がされているが、卯都木さんは、
「最近は大好きなサーフィンができず、仕事のストレスばかりがたまっていたのではないかな。ネットでは、サーフィンと足を結ぶリーシュコードを使って自殺したとあちこちで書かれている。もしそれが事実だとしたら、好きなサーフィンのことを考えているうちに衝動的に……」
と感じたという。三浦さんとは、いつか海外で一緒にサーフィンしようと約束したという。
「カリフォルニアにある世界最大の人工サーフィンプールへ行く約束をしていたんです。実現できなくて本当に残念です」
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