• No.278 文和

    20/06/14 13:49:38

    日蓮には六老僧と呼ばれる高弟がいた。
    そのうちの一人、日向が身延山久遠寺(日蓮が開いた寺)の第二祖となった。

    日蓮の教えは排他的なことで知られるが、日向は他の弟子よりも ほかの宗教に
    寛容だった。そのためか現在の日蓮宗は、他の伝統宗派とうまくやっている。
    (日向が日蓮から破門されたという史実はない。)

    六老僧のうち、日蓮の排他的な部分を強く受け継いだのが日興で、この人が開いた
    大石寺が、現在、日蓮正宗の総本山になっている。

    日蓮正宗は、今も他の伝統宗派すべてを否定するなど独善的で、創価学会、
    顕正会、妙観講などの一般人に迷惑をかけるカルトを生み出してきた。

    日蓮正宗や創価学会は、日興だけが日蓮の教えを正しく受け継いだと主張し、
    現在も時代錯誤な勧誘を行うなど、反社会的体質を維持している。

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  • No.279 天長

    20/06/15 00:11:01

    >>278
    日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)は、建長5年(1253年)4月28日に、日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」の宗旨を建立されたことにはじまります。 日蓮大聖人は、二度の流罪など多くの法難に遭いながらも、法華経の肝心である南無妙法蓮華経を広め、弘安2年(1279年)10月12日、信仰の根本である本門戒壇の大御本尊を建立されました。 そしてその後、日興上人を第二祖と定め、仏法の一切を付属して、同5年10月13日、61歳をもって入滅されました。
    総本山大石寺

    日蓮大聖人の入滅後、身延の地頭・波木井実長(はきりさねなが)が、仏法に違背する行為を重ねたため、日興上人は正応2年(1289年)の春、本門戒壇の大御本尊をはじめ一切の重宝をお持ちして、門弟とともに身延を離れ、翌正応3年10月、南条時光殿の寄進により、富士上野の地に大石寺を建立されました。 以来700有余年、日蓮大聖人の仏法は、日蓮正宗総本山大石寺に正しく伝えられています。


    日蓮さんが自分の後継者に決めたのが日興さんだよ。

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