- なんでも
- 正元
- 20/02/29 00:30:23
新型コロナで今大変ですが、当時の大変さはこんなものじゃ無かったですよね?
物は無いし、放射能怖いし、計画停電とかもあったし。どうやって乗りきりましたか?
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新型コロナで今大変ですが、当時の大変さはこんなものじゃ無かったですよね?
物は無いし、放射能怖いし、計画停電とかもあったし。どうやって乗りきりましたか?
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入園前の時だった。ガソリン入れるのに2時間並んで1000円分しか入れられなかったのを今でも覚えてる。途中でトイレ行きたくなったけど私だけだったから焦ったなぁ。
水もない、なんもない、すっからかんなスーパー。
幸運なことに輪番停電は除外地域だった。
>>58
それは違う。
確かにミルクは、粉 お湯が必要だから不便かもしれないけど母乳じゃなくていいんだよ。
震災の時、完母だったのに急に母乳が出なくなるお母さんも居た。いきなり母乳が止まることだってある。平和な日常だから言えることじゃないよ。
緊急の時だからこそ、母乳じゃなくて大丈夫だよって周りの人が支えるの大事だって私は思う。
>>59わかる。あのぽぽぽぽーん見たり思い出したりすると心がズーンと沈む感覚になる。
毎年3月は特に沈む。
ぴよぴよ
計画停電も断水も確かなかったはず。ちなみに都内。
水とかミルクおむつは当時実母がスーパー勤務だったから確保出来た。
人生で初めて小額だけど募金したなぁ。それしか出来なかったから。
あれからカセットコンロ新しく買い揃えて サバイバルバッグ用意して ウォーターサーバー申し込んで
何より常日頃から ある程度の 食品や日用品は備蓄しておくことも大事なんだって覚えた
あの時、住んでるところはそんなに被害あったわけでもないからな。
大変さでいえば、一昨年の地震でブラックアウトになった時の方が…だなぁ…
でもそれだって1週間ちょっとくらい物がないなぁ…ってくらいだったし…耐えられないなんてことはなかった。
今回のはいつ終わるか分からないし、命までかかってるから、なんともいえないよ。
みんな大変さの種類が違うだけで、困難なことには変わらないからね。
物がない放射能怖い程度の人と被災地で街も人も全部飲まれてしまった人たちでは全然違うし、比べるようなことではないよ。
子育てしてたけど、計画停電もなぜかならなくて
物も困らなかったから今がつらい。
>>70
埼玉めっちゃ計画停電してたよ
だから電気きてるうちに家事してた
地方はもっとだっような記憶がある
野菜は買うの怖かった
>>54
思い出した!ヘリで水!
あれ当時の総理大臣
民主党の菅直人が命令したんだよね
ヘリの人気の毒すぎるわ
大火事に子供のバケツの水かけたようなもんで恥さらしもいいとこだった
しかも原発全停止しなかった?
その後電気の値上げラッシュがきた
311の時、息子はインフルエンザになるわ、水はないわで大変だった。世間も自粛ムードだったけど、今より前向きだった気がする。今や誰かの責任にしたい人ばかり。自分のできる事をするしかないよ。
放射能は年齢や免疫力関係ないから怖かったな。
コロナは、かかる人、かかりやすい人もいれば、無症状の場合もあるし、タイプはちがうが、3.11で日本は既に終わったからなんとも思わない。
日本列島が北海道から沖縄まで津波警報で赤く点滅してるのをテレビで見た時の恐怖は忘れられない
東京だけど、あの日上の子がまだ9ヶ月で昼寝してる時に地震が来たんだよね
とにかく次の日から京都に避難
新幹線の切符を買うための列が凄かった
東京に帰ってきてからも放射能と余震でずっとずっと怖かったし、不安だった
でも、あの時も、今も、とにかく子供を守るために出来る事やって頑張る
それしかない
東京、園児2人の子育てしてた
急いで幼稚園に向かったなぁ…
停電はたった数時間だから、家にいる分には何も困らないよ
だけど信号がつかなくなるから、園バスが出せないってことで幼稚園はお休みになってそのまま春休みになった
やっぱりお米とかトイレットペーパーが品薄になったような?
電池は今のマスクみたいな
とにかくテレビが怖くて仕方なかったよ
東北です。
しばらく停電してたし、水もガスも使えなかった。
余震は頻発するし、とにかく怖かったです。
食べ物も充実していなかったけど、それに比べれば今回はたいした事ないと思ってしまう。
主は比べるものが間違っているのになぜ気付かない?
>>42
全国的に同じじゃない?
休校など感染拡大の防止、マスクの品薄、消毒。
もはや地域に感染者がいるいないは関係ないよ。
>>33東北は今回コロナの感染率すごい少ないよね?
ライフラインが普通に使えるだけありがたいよ。
>>85
少ないけど気を付けることは同じだと思う。
検査してるかしてないかも問題視されてるし。
今の方が面倒。
仙台住んでた。あの頃こども一人だったから
乗り切れたな。ライフラインすべてとまって
余震の恐怖とガソリンいれるのに一晩並んだな。やっぱり今は三食食べれて暖かい部屋にいれてお風呂に入れるからまだいいよ
3.11程の震災時には周りと協力しようって気持ちが芽生えるけど、コロナは周りと接触を避けようって方針だから、まず比べようがない
東京寄り千葉県。当時子供が生後3ヶ月。
震災の次の日、オムツとミルク買いにマツキヨへ行った。その時は危機感もなかったし、計画停電もまさかあるなんて思わず…
オムツとミルク、乾電池は関西の親戚に送ってもらった。
計画停電はマジで地獄。ウチが停電してる中、バルコニーから西、江戸川区。北、山パンの工場があるから。南、水道水施設あるから。どこも停電非対象地域。マジで不公平すぎて、こころ病みました。
今回の卒業生は急に今日でお休みです!って言われて可哀想と思ったけど3.11の時は急にみんなに会えなくなって再会できるまで時間もかかって一生会えなくなってしまった友達もいるんだ…って思うと切ない。
震度6地域
二人目臨月で、計画停電の時間の時に出血して、トイレで血を懐中電灯で照らして、どれくらい出たか確認した。
震災から1週間後、予定より長女早く産まれた。
水は飲めないし、新生児用オムツなくて、大変だったね。
子供の少ない地域から送ってもらったよ。
当時は転勤で地方に住んでいたんだけれど、パルシステムの宅配を頼んでいたのもあってあまり買いだめせず子供も小かったから家から出なかった。
計画停電も、家事やお風呂も前倒しで早寝早起きで乗り切ってた。
今は子供も大きくなって電車通学してるし、震災の時は気晴らしに関西方面に旅行にいけたりもしたけど、今回はどこに行ってもウイルスで逃げ場が無いからそこがキツい。
東北被災地
計画停電なんてもんじゃなくて発生直後~2週間ずーっと停電。
ラジオで状況を聞いていた。
あの悲惨な映像を直後に見なかったことが不幸中の幸い。
1週間後くらいから○○が流された、○○のばぁちゃんがし んだとかちょいちょい入ってくるようになった。
計画停電はやるかやらないか当日にならないとわからなかったから、とにかく明るいうちに色々やってたな。仕事もしてたし、明るいうちに帰宅しないと街灯も信号も消えてたので怖い。
明るいうちにごはんを炊く。炊飯器はなるべくやめて、土鍋で炊いてた。節電もあるけど炊飯途中で電気止まったらどうしようもない。
夕食作れなかった日は、当時1歳の子どもにすぐ食べさせられるようなものがなくて、真っ暗な家が辛くて明るい駅前までふらふら歩いたよ。同じような人がけっこういた。スーパーの棚もガラガラで、しかたなくモスバーガーにはいってパンだけをあげたよ。
オムツとかおしりふきとか、買えるときに買わないと棚になくなる。家では古着を切って濡らしておしり拭いてた。たまたま仕事休んだ日におしりふきを2パック買えたので、職場の同僚に1パック譲ったよ。後日奥さんから感謝された。
当時が今と違うのは、買い占めもあったかもしれないけど主な品不足の原因が流通の困難にあったから。かならず元に戻るから、と言い聞かせて買い占めはしないようにしてた。
私はね…
今の大変さって、デマと同調圧力じゃない?
ママスタ見てると、病むような気がする。
さ、スマホを離して日々の暮らしを楽しもう♪
あの時からsnsは普通にあったけど、今ほど依存率高くなかったから最近の騒ぎでネットでの情報に踊らされてる感はすごいなと思う。
まあ商売してる側は売れないより助かるだろうし、集団心理に踊らされてる人って日頃から備蓄とか災害に対する警戒心ないんだろうなって思うだけ。
>>96
ママスタ見てると病む気がする。
同意。
もう少しで9年ですね
1歳未満の子どもがいて小学生の子もいて,おむつとおしりふきを一時間くらいベビーカー押して買いに行った記憶がある。汗びっしょりで、でもわたししか動ける人いないし、懐中電灯はいつもぶら下げて歩いたよ。
今日テレビの特集
涙なしでは見れなかった。
みんな相当のご苦労をされてきて今があるんだなって思った。
場違いごめんなさい
被災地だったけど乗りきるというより死ぬわけにはいかなくて、ただ必死だったかな
上の子が幼稚園入園前で家に居たけど、近所のスーパーでは水や食料品が一時期品薄になったけど生活には支障なかった。テレビで津波の映像を繰り返し子供に観せると子供がトラウマになるから悪いと聞いて敢えて観せないよう心掛けた。
今の方がキツい。突然の休校で期間も長い。
マスクは何処に行っても売っていないし、子供たちは外に出づらい状況になっていてストレス溜まってる。
2歳前と4ヶ月2人いて津波みて家の中ぐちゃぐちゃ、ガラスや皿は割れたり食器棚も倒れてた。
テレビも冷蔵庫も。
一階部分天井ギリギリに泥の線。
家具家電泥まみれ。
どの避難所にもいない身内2人は3日後に車内で発見、2:46に溺死と死亡診断書にあったけど、実際2:46は揺れた時間で亡くなった時間じゃないから切なくなったり。
オムツひとつ買うのに並んだりしたなぁ。
雪が降ってた。
スタンドに車がむちゃくちゃ並んでた。
灯油缶持ってる人も。
あの時23で年子かかえてたけど、とにかく生きなきゃ、チビらになんか食べさせなきゃ、でした。
消防士の友達が、遺体捜索全て辛いものだけど、1歳前後の子を泥の中から見つけた時はもう無でしかなかった、それでも次のご遺体を見つけてやらなきゃならない。と話してた。
あれから9年、あの頃赤ん坊だった2人は立派な小学生になったよ。
しばらく辛かったけど、5年あいてさらに3人産まれて子沢山になって、もっともっと子供達のために生きていかなきゃなと感じます。
災害と比較するとまた違うかもしれないけど、あの時被災地じゃない方々からの激励は今も忘れないし届いてるよ!
自分か不安な顔を見せたら、子供はもっと不安になるだろうと思って、いつもより笑顔で明るく怒らないように接してたよ。
「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、 目で見たり手で触れたりすることはできません。 それは、心で感じなければならないのです。」
ではなく
「世界で最も恐ろしく、最も危険なものは、 目で見たり手で触れたりすることはできません。 それは直ちには影響を及ぼしませんが、後に取り返しがつかない恐ろしい終末を生みます。」 だろ。
それは何かって?
核兵器と原発から発生する放射能だろうが。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、チェルノブイリに行ったことがある奴は、一生覚えとくだけじゃなくて、末代まで伝え続けろ。
ヘレン・ケラーと言うトランプ並みの暴言嬢王は、終戦直後の広島に行ったことがあるのに、そういうことに気付かなかった。
そんでもって「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、 目で見たり手で触れたりすることはできません。」とか言ってんだから、
こいつはどんなに控えめに言っても、偽善者の理屈倒れだ。ということもだ。
こんな奴が、チェルノブイリやフクシマの原発事故があっても、批判されないどころか、評価され続けてるから、 核兵器も原発もなくならないんだ。
ヘレン・ケラーなんて批判されるようになればいい。
世界が平和になりますように。
上の子は幼稚園、下の子は2歳で一緒に家にいたけど本当怖かった!すぐ抱っこして玄関開けたよ。上の子は幼稚園バスに乗ってる時間だったから帰ってくるまで本当に心配だった。
計画停電は早めにお風呂、ご飯で支度も大変だったな。