「あっぱれさんま大先生」山崎裕太明かす 泣くほど嫌でも番組やめられなかった裏事情

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  • 20/02/13 09:48:28

20歳のとき「大江戸ロケット」で舞台の面白さに出会った
 小中学生のとき、バラエティ番組「あっぱれさんま大先生」に出演し人気を獲得した俳優・山崎裕太さん(38)。当時は大先輩の大物タレント・明石家さんま相手に、ズバズバ言って笑わせてくれるヤンチャな子供だったが、今や名バイプレーヤーの1人に。昨年、芸歴35周年を迎え、その集大成として、3月に一人芝居「赤ずきんちゃんのオオカミ」に挑戦する。“子役は大成しない”と言われるなか、しっかりと生き抜いてきた秘訣を聞いた。

 「赤ずきんちゃんのオオカミ」は去年の1月頃に、企画をスタートしました。幼い頃から芸能界で仕事をしていたので忙しく、お遊戯会とか学芸会に出た記憶がない。それで、今からお遊戯会、学芸会の思い出を作ろうというところから、童話「赤ずきんちゃん」のスピンオフ作品を作ろう、というアイデアが生まれました。お客さんには喜怒哀楽のあらゆる感情を楽しんで、最後は心にガッと刺さって「いいもの、見たな」って思ってもらえる作品にできれば。山崎裕太のいろんな部分を見せられたらな、と思っています。

 初舞台は16歳。それから仕事に対するジレンマや葛藤もあって、20歳のとき、劇団☆新感線の「大江戸ロケット」という作品で主演させてもらって、「あ、自分の真骨頂はここだな」と気づいたんです。生で芝居を観てもらって、反応がすぐにかえってくるライブ感が気持ちいい。やめられなくなりましたね。もちろん映画やドラマもやらせていただいているので、3年ぐらい舞台に立たない時期もあり、4~5本やる年もあり、でマチマチですけど、いいお話をいいタイミングでいただけたらぜひやりたいですね。
「思うとおりになったことはひとつもない」
 舞台って、バラエティに似たところがあるかもしれません。舞台は脚本がありますけど、毎回毎回ハプニングがあったりするのでその対応力が必要だったり、ライブ感が強かったりするのはバラエティと同じ。「あっぱれさんま大先生」で鍛えられたので、生ものがいい、と思えるのかもしれません。それでも、バラエティタレントじゃなく、俳優の道をきたのは……子供だったし、なるようにしかならなかったというか(笑)。自分の思うとおりになったことなんて、ひとつもなかったですから。

 子供の頃はこの仕事をやりたくないと、毎日のように思っていました。忙しくて学校にあまり行けないし、好きなサッカーもできないし。「あっぱれさんま大先生」の収録はほぼ日曜日だから、友達とも遊べない。母親に「もうやだ!」「やりたくない!」と大泣きしたこともありました。でも、僕が幼い頃、我が家は母子家庭だったので、「お前が働かないと弟が学校に行けない」なんて母親に言われて。今、考えたら、そんなことはなかったと思いますけど(笑)、芸能界の仕事をすればいいお金になったので働かされてた、という感覚だったんです。

 僕が小学校高学年のとき、母親が再婚して妹が生まれ、「もう、これでやめられるな」と思いました。でも、もし何かあったら、妹がご飯を食べられなくなるんじゃないか、とか、よく考えたら、僕は勉強が苦手だし、運動も一番じゃない。周りの子たちにかなうもの、というと、この仕事しかないんだ、と気づいて火が付きました。負けず嫌いではあったので。

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