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義母の立場で、嫁から息子の愚痴を聞いたら
20/02/18 15:42:23
>>52 「ちゃんと」に縛られる日本の研究者たち 私は研究者として日本で数年キャリアを積んだ後、8年程前にアメリカに渡り海外(欧米)でキャリアを築いているが、私自身が研究者として海外にとどまる主な理由の一つもまた日本の「submissive」な部分への違和感にある。 まず、私が違和感を覚える日本の研究業界における代表的な「submissive」な要素の一つが、「同調圧力」である。 例えば、日本の研究業界(自然科学)では、「何をやるか」よりも「ちゃんとしているか」への意識が強く、この点を皆が牽制し合うような空気がある。会議等での研究発表の際にも、研究内容についてではなく発表に出てきた知識を本人が正しく理解しているかを確認するような質問がなされることが多い。 もちろん仕事をする上で「ちゃんとしている」ことは大事である。しかし、「ちゃんとしている」とはどのような状態を指すのか、その解釈は個々によって違っていい。私が窮屈に感じているのは、日本では、「ちゃんとしている人とはこうあるべき」と画一的な理想像が押し付けられてしまう点だ。そしてそんな画一的な「ちゃんと」に縛られ、いかに有意義なアウトプットを出すかといった核心部分がおざなりにされる傾向にある。 「上下関係」における不必要な抑圧 また、日本の「submissive」な文化は「上下関係」においても不必要な抑圧を生んでいる。 経験を積んだ人が自身の経験を若い世代に伝えることはもちろん大切である。しかし日本ではこれを「経験や実績を積んだ人には従わなければならない」と解釈してしまう場合がある。 こういったいわゆる権威主義は、業界全体を古い価値観に縛ってしまう危険がある。研究業界で言えば、例えば、研究費申請などの審査において、申請内容よりも申請者の役職や実績が重視される傾向があり、分野を切り開くような新しい研究が生まれる機会が奪われてしまっている。 このような権威に従う「submissive」な傾向は、研究業界に限った話ではなく、様々な業界においても聞かれる。 私たち家族は現在オーストリアに住んでいるのだが、先日、こちらで活躍する日本人のピアノ技師に「こちらに来たのは音楽に関してオーストリアのレベルが高いからですか?」と聞いたところ、「それもあるけど、師弟関係だったり上下意識が強すぎる日本が嫌で」との答えが返ってきた。 このように「submissive」な文化が行き過ぎると、古い価値観からの脱却が難しくなるばかりでなく、その抑圧から逃れるために日本を離れる決断をする人が増えることにも繋がる。
20/02/18 15:43:23
>>53 成功しないと物を言えない? 関連して、「ウーマン村本大輔、アメリカ進出を宣言 日本のお笑いに「限界」を感じた理由」(ハフポスト)という記事に興味深いことが書かれていた。 記事によると、お笑い芸人として活動している村本さんはいま、アメリカに渡りスタンドアップコメディの世界に挑戦しようとしているという。その背景にある考えとして村本さんは、次のように述べている。 ---------- 「どうもこの国のお笑いは1本すぎる感じがして。多種多様じゃない感じがする」 「ちょっと違うことをやると、いろんな名前を付けられます。『あれはお笑いじゃない』とか、『あれは活動家だ』とか」 「こういうことを言うと、『そんなに日本が嫌いだったら…』という発想になると思うんですけど、そうじゃなくて。『違いは面白い』って言ってるんですよ」 ---------- 冒頭で紹介したカズ・ヒロさんも、国籍を変えることについて、過去のインタビューで以下のように述べている。 ---------- 「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」(猿渡由紀氏によるヤフーニュースの記事より) ---------- このような言葉を見ると、日本では結局どの業界も「too submissive」な状態にあり、自分らしくあろうとする人を抑圧してしまう構造になっているように思われてならない。 またこれら記事に関してもう1つ残念なのが、カズ・ヒロさんの言葉に対しては「成功している人の言葉は重みがある」と受け入れる声が多いのに対し、村本さんの言葉には「成功してから言え」といった声が少なくない点だ。この違いには、成功者など社会的に権威のある人でないと物を言うべきでない、というまさに「submissive」な特徴が表れてしまっている。
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古トピの為、これ以上コメントできません
20/02/18 15:44:55
>>55 「submissive」になる必要なんてない 誤解してはいけないのが、「submissive」なことによって起こる問題は、一部の才能のある人、専門職や1つの道を極める人など、特定の層に限った話ではないということだ。 日本では、「社会」は国や政府など、“何か上から与えられたもの”であるという意識が強いように思う。社会はすでにそこにあるもので、自分たちが変えられるものだと思っていない人が少なくないのではないだろうか。実際、選挙の投票率の低さやデモの少なさにもそれが表れている。 一方、欧米に住んでいて感じるのは、「社会」は「個人」が主導している、という考え方をもっている人が多いことだ。だから日本と比べて選挙の投票率も高く、デモやストも頻繁に起こる。市民革命の歴史がそうさせているのかはわからないが、「社会」と「個人」の距離が日本に比べて近いのだ。 本来、民主主義社会においては、「社会」はそれを構成する「個々人の分布」を踏まえて変化していくものだ。なので、個々がその特徴を消して社会に合わせようとしてしまうと、本来の分布と違う「歪な社会」になってしまう。 私は今の日本が抱える閉塞感の根本はこの部分にあるように感じている。本来の自分を変えてまで「submissive」になる必要など誰にもない。社会のどこに自分が分布していようが、誰一人として同じ位置にはおらず、それが「個性」である。誰もが本来の自分として生きやすい社会――そんな社会を私たちは目指すべきではないだろうか。 中川 まろみ(研究者、ライター)
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.53 ②
20/02/18 15:42:23
>>52
「ちゃんと」に縛られる日本の研究者たち
私は研究者として日本で数年キャリアを積んだ後、8年程前にアメリカに渡り海外(欧米)でキャリアを築いているが、私自身が研究者として海外にとどまる主な理由の一つもまた日本の「submissive」な部分への違和感にある。
まず、私が違和感を覚える日本の研究業界における代表的な「submissive」な要素の一つが、「同調圧力」である。
例えば、日本の研究業界(自然科学)では、「何をやるか」よりも「ちゃんとしているか」への意識が強く、この点を皆が牽制し合うような空気がある。会議等での研究発表の際にも、研究内容についてではなく発表に出てきた知識を本人が正しく理解しているかを確認するような質問がなされることが多い。
もちろん仕事をする上で「ちゃんとしている」ことは大事である。しかし、「ちゃんとしている」とはどのような状態を指すのか、その解釈は個々によって違っていい。私が窮屈に感じているのは、日本では、「ちゃんとしている人とはこうあるべき」と画一的な理想像が押し付けられてしまう点だ。そしてそんな画一的な「ちゃんと」に縛られ、いかに有意義なアウトプットを出すかといった核心部分がおざなりにされる傾向にある。
「上下関係」における不必要な抑圧
また、日本の「submissive」な文化は「上下関係」においても不必要な抑圧を生んでいる。
経験を積んだ人が自身の経験を若い世代に伝えることはもちろん大切である。しかし日本ではこれを「経験や実績を積んだ人には従わなければならない」と解釈してしまう場合がある。
こういったいわゆる権威主義は、業界全体を古い価値観に縛ってしまう危険がある。研究業界で言えば、例えば、研究費申請などの審査において、申請内容よりも申請者の役職や実績が重視される傾向があり、分野を切り開くような新しい研究が生まれる機会が奪われてしまっている。
このような権威に従う「submissive」な傾向は、研究業界に限った話ではなく、様々な業界においても聞かれる。
私たち家族は現在オーストリアに住んでいるのだが、先日、こちらで活躍する日本人のピアノ技師に「こちらに来たのは音楽に関してオーストリアのレベルが高いからですか?」と聞いたところ、「それもあるけど、師弟関係だったり上下意識が強すぎる日本が嫌で」との答えが返ってきた。
このように「submissive」な文化が行き過ぎると、古い価値観からの脱却が難しくなるばかりでなく、その抑圧から逃れるために日本を離れる決断をする人が増えることにも繋がる。
No.55 ③
20/02/18 15:43:23
>>53
成功しないと物を言えない?
関連して、「ウーマン村本大輔、アメリカ進出を宣言 日本のお笑いに「限界」を感じた理由」(ハフポスト)という記事に興味深いことが書かれていた。
記事によると、お笑い芸人として活動している村本さんはいま、アメリカに渡りスタンドアップコメディの世界に挑戦しようとしているという。その背景にある考えとして村本さんは、次のように述べている。
----------
「どうもこの国のお笑いは1本すぎる感じがして。多種多様じゃない感じがする」
「ちょっと違うことをやると、いろんな名前を付けられます。『あれはお笑いじゃない』とか、『あれは活動家だ』とか」
「こういうことを言うと、『そんなに日本が嫌いだったら…』という発想になると思うんですけど、そうじゃなくて。『違いは面白い』って言ってるんですよ」
----------
冒頭で紹介したカズ・ヒロさんも、国籍を変えることについて、過去のインタビューで以下のように述べている。
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「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」(猿渡由紀氏によるヤフーニュースの記事より)
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このような言葉を見ると、日本では結局どの業界も「too submissive」な状態にあり、自分らしくあろうとする人を抑圧してしまう構造になっているように思われてならない。
またこれら記事に関してもう1つ残念なのが、カズ・ヒロさんの言葉に対しては「成功している人の言葉は重みがある」と受け入れる声が多いのに対し、村本さんの言葉には「成功してから言え」といった声が少なくない点だ。この違いには、成功者など社会的に権威のある人でないと物を言うべきでない、というまさに「submissive」な特徴が表れてしまっている。
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.56 ④
20/02/18 15:44:55
>>55
「submissive」になる必要なんてない
誤解してはいけないのが、「submissive」なことによって起こる問題は、一部の才能のある人、専門職や1つの道を極める人など、特定の層に限った話ではないということだ。
日本では、「社会」は国や政府など、“何か上から与えられたもの”であるという意識が強いように思う。社会はすでにそこにあるもので、自分たちが変えられるものだと思っていない人が少なくないのではないだろうか。実際、選挙の投票率の低さやデモの少なさにもそれが表れている。
一方、欧米に住んでいて感じるのは、「社会」は「個人」が主導している、という考え方をもっている人が多いことだ。だから日本と比べて選挙の投票率も高く、デモやストも頻繁に起こる。市民革命の歴史がそうさせているのかはわからないが、「社会」と「個人」の距離が日本に比べて近いのだ。
本来、民主主義社会においては、「社会」はそれを構成する「個々人の分布」を踏まえて変化していくものだ。なので、個々がその特徴を消して社会に合わせようとしてしまうと、本来の分布と違う「歪な社会」になってしまう。
私は今の日本が抱える閉塞感の根本はこの部分にあるように感じている。本来の自分を変えてまで「submissive」になる必要など誰にもない。社会のどこに自分が分布していようが、誰一人として同じ位置にはおらず、それが「個性」である。誰もが本来の自分として生きやすい社会――そんな社会を私たちは目指すべきではないだろうか。
中川 まろみ(研究者、ライター)