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18/07/21 18:53:20
三女:松本麗華(りか) 1983年(昭和58年)4月生まれ。 教団での地位は正大師でホーリーネームはアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。省庁制の際には法皇官房長官であった。 2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。 2004年(平成16年)3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた。 2013年(平成25年)7月からブログを立ち上げ、麻原を案ずる文面をつづっている。 2015年3月19日、NNN系列の報道番組『NEWS ZERO』のインタビューで出演。初めて松本麗華という実名で登場する。 2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社、ISBN 978-4062194808)を上梓。ニコニコ生放送に出演して田原総一朗と対談した。 四女:松本聡香(さとか、仮名) 1989年(平成元年)生まれ。 ステージは正大師よりも上の正報師。 茨城県龍ケ崎市に転居した時は、市の方針でその市の学校の転入拒否で2人の弟共々学校にも通えなかったという。協力者達のお蔭で何とか学校に通えるようになったものの、学生時代はいじめに遭い、中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と評された。 2006年(平成18年)に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった江川紹子の下に身を寄せる(2007年に江川は後見人を辞任している)。 麻原に死刑判決が下る2004年(平成16年)までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、自らインターネットや書籍を調べて自分に対する世間の冷たい視線の背景に初めて気付いた。 その後はオウムや一家と絶縁し、自殺未遂を繰り返す。ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながらも贖罪の道を模索している。 2010年(平成22年)、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店、ISBN 978-4198627539)を刊行。 2014年(平成26年)のインタビューにおいても、自殺未遂が続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語った。 三女の松本麗華については、2015年3月20日にFNNの取材に対し、「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と語った。 2017年10月に実父・麻原彰晃と実母・松本知子に対して相続廃除を申請し、横浜家裁が認める審判をした。審判では両親が適切な養育をしなかったことや犯罪を行ったことで、四女が「重大な不利益を被り、現在もその影響が続いている」と認定された。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
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No.23 Wikipediaより
18/07/21 18:53:20
三女:松本麗華(りか)
1983年(昭和58年)4月生まれ。
教団での地位は正大師でホーリーネームはアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。省庁制の際には法皇官房長官であった。
2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。
2004年(平成16年)3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた。
2013年(平成25年)7月からブログを立ち上げ、麻原を案ずる文面をつづっている。
2015年3月19日、NNN系列の報道番組『NEWS ZERO』のインタビューで出演。初めて松本麗華という実名で登場する。
2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社、ISBN 978-4062194808)を上梓。ニコニコ生放送に出演して田原総一朗と対談した。
四女:松本聡香(さとか、仮名)
1989年(平成元年)生まれ。
ステージは正大師よりも上の正報師。
茨城県龍ケ崎市に転居した時は、市の方針でその市の学校の転入拒否で2人の弟共々学校にも通えなかったという。協力者達のお蔭で何とか学校に通えるようになったものの、学生時代はいじめに遭い、中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と評された。
2006年(平成18年)に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった江川紹子の下に身を寄せる(2007年に江川は後見人を辞任している)。
麻原に死刑判決が下る2004年(平成16年)までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、自らインターネットや書籍を調べて自分に対する世間の冷たい視線の背景に初めて気付いた。
その後はオウムや一家と絶縁し、自殺未遂を繰り返す。ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながらも贖罪の道を模索している。
2010年(平成22年)、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店、ISBN 978-4198627539)を刊行。
2014年(平成26年)のインタビューにおいても、自殺未遂が続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語った。
三女の松本麗華については、2015年3月20日にFNNの取材に対し、「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と語った。
2017年10月に実父・麻原彰晃と実母・松本知子に対して相続廃除を申請し、横浜家裁が認める審判をした。審判では両親が適切な養育をしなかったことや犯罪を行ったことで、四女が「重大な不利益を被り、現在もその影響が続いている」と認定された。
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