- なんでも
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続き
―ファンに対して
日馬「16歳で母船から海を渡って、父船である日本にやってきて、親方、おかみさんのもとで、人様に迷惑をかけないように、人としてちゃんと道を教えていただき、育ちました。相撲を通じて、縁があった方々そして、私を支えて応援してくれたファンのおかげで、第70代横綱になることができました。私は日本を愛しています。日本の国技を愛しています。ファンの皆様、心から感謝を申し上げたいです」
―相撲界はどんなところ
日馬「私は相撲を愛しています。大好きです。そして相撲道というのはただ強いのではなく人として、そして相撲を通じて、みなさまに感動と勇気を、そして相撲を通じて、社会にできることを一生懸命やっていくことを、親方、おかみさんに学びながら、相撲を通じてみなさんに希望を与えること、自分にできるだけのことをやってきました」
―17年間の相撲人生の思い出
日馬「相手がいての相撲なので、今まで戦ってきたライバルに感謝ですし、そして相撲を通じて縁があって出会った方々の支えがあったことで、今まで来たので、すばらしい17年間でした」
―横綱とはどういうものですか
日馬「(昇進の際に)横綱としてみんなの基本と見本になる、横綱としての名前を傷がつかないように一生懸命頑張りますと言いました。一生懸命横綱として土俵に上がって、お客さんに楽しんでいただける相撲だけを考えて横綱としての責任を果たしました」
―思い出に残る相撲は?
日馬「たくさんの思い出があります。この場を通じて一緒に戦ってきた仲間に申し訳ないと伝えたいです。思い出に残っているたくさんの相撲の中で初土俵の序の口で優勝したことが…。初心を忘れてはダメなのでいつも心の中にあります」
―師匠へ、日馬富士を横綱まで育ててきた
伊勢「とにかく、稽古稽古ですね。どこが痛いとか弱音を吐かずに今日までやってきたんじゃないですかね。相撲見てみなさんによろこんでもらえたんじゃないかと思います」
―師匠の涙を見て感じたのは
日馬「今から10年前に、父親を亡くして、僕のお父さんであり、師匠であり、僕のあこがれの師匠でもあり、いつも親方、おかみさんに恩返ししたいなと思う気持ちが…。いい息子でいたいなという気持ちが強かったです。この17年間、積み立ててきた僕の生き方が、こういう世間を騒がせたことで親方に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。これから自分なりに恩返しして、相撲の名前が傷つかないようちゃんとした生き方をして、恩返しして行きたいと思います」
―今回のことなければ、引退後も相撲協会に残る気持ちは
日馬「相撲があっての私なので、相撲界に恩返ししたい気持ちはありました」
―今後の人生
日馬「親方、おかみさんの17年間の教えのもとで、相撲道で学んだことを生かして、人様に迷惑をかけないようにちゃんとした生き方をして、頑張って行きます」
続く- 0
17/11/29 20:22:57