北朝鮮の脅威の前に無力さをさらけ出す「平和憲法」 9条の力で北朝鮮の核開発を止められるのか?

匿名

名月

17/09/27 13:13:53

北朝鮮の脅威の前に無力さをさらけ出す「平和憲法」
9条の力で北朝鮮の核開発を止められるのか?

2017.9.27(水)

 北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルの脅威が日本の国家や国民の存立を脅かすようになった。日本はどうやって自国と自国民を守るのか。今や日本の防衛のあり方が根底から問われている。いや、日本のあり方そのものが重大な危険の試練を浴びるようになったといってもよい。そうなると、どうしても現在の憲法のあり方への疑問が提起されてくる。

 日本が北朝鮮の脅威に対応する手段としては、まず外交努力、経済制裁、日米連帯、国際協力など非軍事的な方法が挙げられる。だが、それらの手段をいくら試みても、北朝鮮の核とミサイルの脅威は減らない。むしろ逆に「日本列島を核爆弾で海中に沈める」という恫喝の言葉が象徴するように、日本にとっての危機は増している。

 北朝鮮の脅威は、まさに軍事的な脅威に他ならない。北朝鮮はミサイルや核兵器での攻撃を示唆して日本を威嚇し、実際に攻撃もしかねない。そうした軍事的脅威に対して普通の国ならば、抑止や予防という意味で軍事的な対策を準備するだろう。それは最悪の事態への備えでもある。

 ところが日本は自国の防衛にさえも軍事的な手段を禁じている。あまりにも明白で切迫した核兵器とミサイルの脅威に対して、わが日本は軍事面での防衛も抑止もあまりに無力なのだ。

◆「平和憲法」という“虚名”

 その根本の原因は憲法である。日本は「平和憲法」という“虚名”の下に一切の軍事を排してきた。
 あえて虚名という言葉を使うのは、そもそも日本には、日本国憲法は存在しても、平和憲法という名の憲法はないからだ。この名称は「なにがなんでも今の憲法を変えるな」という勢力が作り出した政治色のにじむスローガンだという感じが強い。今の憲法を保つことだけが平和であり、その憲法が平和をもたらす、という発想に基づくのだろう。

 憲法9条は、国際紛争を解決する手段として、武力、つまり軍事力を一切禁止している。「自国の防衛ならば武力を行使してもよい」というのがこれまでの憲法解釈だが、9条は戦争も交戦権も、戦力も、軍隊も、禁じている。

 また、日本国憲法は前文で日本の安全と生存に関して、自国の防衛努力ではなく「諸国民の公正と信義」への信頼による、としている。つまり、他国の善意を信じれば、日本の平和は守られるという発想なのだ。

 軍事とは簡潔にいえば、国を守るための物理的な力の保持である。外部の敵に対して、話し合っても、譲歩をしても、なお自国への脅威や侵略が避けられないというときに、最後の防衛手段として使うのが軍事力である。だから全世界の主権国家は自分の国や国民を守るために不可欠として軍事力を保持している。

続く

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