レコード大賞に輝いた90年代の人気アイドル・川越美和が謎の孤独死を遂げていた

匿名

入善ブラウンラーメン

17/05/30 21:46:37

2017年5月30日 4時0分 スポニチアネックス

「何も知らないファンの方たちのため、最期を知る人間の声を届けてほしいんです」

 そう語るのは、'90年代にアイドルや女優として活躍した川越美和さんの死を知る、元同僚の城野よしかず氏。亡くなるまでの約1年間を知る彼は、今まで語られなかった川越さんの死について、その知るところを話してくれた。

 川越さんといえば、'88年に歌手デビューすると、翌年には『時間ですよ 平成元年』(TBS系)にレギュラー出演。この年は『夢だけみている』で第31回レコード大賞新人賞も獲得し、芸能界で絶好のスタートを切った。

 このころ、川越さんをインタビューしていた芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、

「“地元では電車がなくて、東京に来て初めて電車に乗りました。山手線は乗降する人も多くて初めは怖くて乗り込むことができませんでした”と、あどけない表情で話していたのが忘れられません」

 と振り返る。

 レコ大新人賞を獲得後も『スクールウォーズ2』『HOTEL2』(ともにTBS系)などの話題作に続々出演。映画やCM、雑誌のグラビアなどにも数多く登場して、順風満帆な芸能生活を送っていたかに思えたのだが……。

引退後の仕事とは

「川越さんは'07年4月に公開された実写版映画『ゲゲゲの鬼太郎』にヒロインである井上真央の母親役で出演していましたが、それを最後に突然、芸能界を引退してしまったんです」(スポーツ紙記者)

 引退後、川越さんがついたのは不動産会社のテレホンアポイントの仕事。そこで、前出の城野氏と会うことになる。

「川越さんが会社に入ってきて、びっくりしましたよ。時給は1400円ほどで1本契約を取るごとに5万円とか入る仕組みで、彼女はかなり、いい成績でした」

 このころ、川越さんは会社が用意した墨田区内のマンションで、フレンチブルドッグ2匹と暮らしていたという。

「何度か街で見かけたのですが、いつも帽子やフードをかぶり、あまり芸能人オーラを感じませんでした。当時はフレンチブルドッグが珍しかったから覚えているんですよね」(近所に住む男性)

 また、近所での彼女のある行動がとても印象に残っている人がいた。

「(写真を見て)この人、よく覚えていますよ。ある日突然来て、“お金はないんですが、髪を切ってくれませんか”と言うんですよ。そんなことは初めて言われたので、正直、びっくりしましたね。“お金のかわりに何でも手伝いますから”ということだったんですが、さすがに断りました」(美容室オーナー)

 当時、彼女の部屋の中は、床一面にブランド品のバッグや靴が置いてあったという。

「本当に足の踏み場もないので驚いていたら、“オークションに出すんです”って言っていました。芸能界にいたころは、広尾あたりに住んでミニクーパーに乗っていたそうです。

 でも、芸能関係の悪い人間に引っかかって、何かの保証人になってしまったみたい。それで、本人に金銭の請求が来るようになり、“悪い輩に騙された”って寂しそうに話していました」(城野氏)

 テレホンアポイントの仕事は半年ほどで辞めてしまう。そのために'07年の末ごろには会社が提供していたマンションを出ることになるのだが、ここでまた問題が。

「犬が爪で引っかいたのか、部屋の床や壁がめちゃくちゃになっていたんです。彼女は80万円くらい請求されてましたね。そのころから精神状態がひどくなって。

 ある日、錦糸町のクリニックから出てきたら、コンビニのビニール袋みたいな大きさで2袋分くらい薬をもらってきていたんです。10種類くらい服用しているようでした」(城野氏)

 その引っ越しトラブルについては彼女の元上司だった大野計氏も鮮明に覚えていた。

「彼女じゃ埒があかないので実家の父親に電話したら“勘当した”って言うんですよ。お酒を飲んだり金使いが荒かったりといろいろあったようで、“次に会うときは骨を持って帰るときだ”って断られてしまったんです」

続く

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