• No.2 デカパン競争

    16/09/07 15:29:56

    【従軍慰安婦の真実】
    http://www.geocities.jp/makizushi33/

    「従軍慰安婦」と聞くと、かわいそうな人をイメージする方も多いのですが、
    戦争中は慰安行為(性的なサービス)によって収入を得る女性が多く存在しました。通称「慰安婦」と呼ばれる人たちです。

    「従軍」とは軍に同行する人すべてを指します。
    「従軍記者、従軍看護婦、従軍カメラマン」などは存在が確認されています。

    従軍慰安婦(志願制)はいくらでもいましたが、強制によるもの?がいたかどうかは「証言」以外に証拠がありません。


    ◆黄錦周(ファン・クムジュ)さんの証言

    以下はすべて、従軍慰安婦として有名な「黄錦周さん」1人による証言です。
    公演するたびに、証言が変わっています。

    (1) 従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
    「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」

    (2) 国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
    「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

    (3) TBSのテレビ番組「ビートたけしのここが変だよ日本人」(従軍慰安婦問題)
    「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」

    (4) 「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
    「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」

    (5) 旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
    『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』

    (6) 黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
    「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」


    ◆文玉珠(ムン・オクス)さんの証言

    「文玉珠さん」という従軍慰安婦の女性は、1992年に日本の郵便局を訪れて、2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。
    「千円もあれば故郷の大邱(テグ)に小さな家が一軒買える」と体験記で述べていますが、現在の貨幣価値なら、4000万~5000万円程度の大金を、彼女が従軍慰安婦であった約3年間で貯めこんでいたことが分かります。

    以下略

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

広告

返信コメント

  • まだコメントがありません

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。