- なんでも
- 匿名
- 15/10/09 20:13:21
ってありますか?
主はいつもおばあちゃんちに遊びに行くとパイナップルやナッツがどっさり乗ったケーキを焼いてくれるんだけど、本当はケーキ屋さんのショートケーキが食べたかった…
っていう思い出が最初に浮かんだ(笑)
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ってありますか?
主はいつもおばあちゃんちに遊びに行くとパイナップルやナッツがどっさり乗ったケーキを焼いてくれるんだけど、本当はケーキ屋さんのショートケーキが食べたかった…
っていう思い出が最初に浮かんだ(笑)
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おじいちゃんが大好きで何をするのも一緒。
真冬でも湯船につかって遊んでる私を一時間近く洗い場に座ってニコニコと笑いながら見ててくれたり、寝るときも私が寝るまで隣でおじいちゃんオリジナルの旅をするピンクのペガサスのお話を聞かせてくれてた。
とっても優しいおじいちゃんでした。
せんべいの筒缶に薬入れて、いつも沢山薬飲んでた。
内職をしてて、私が手伝ったら褒めてくれた。
ばーちゃんの部屋は離れで、独特の匂いがしてた。
農協に一緒に行って、お菓子買ってもらった。
おばあちゃん
ビニール袋に100円を30枚くらい入れてこっそりおこづかいをいつもくれてた。
おじいちゃん
夏には川原に水遊びに連れてってくれた。
突然すぎて、着替えも持たずびしょ濡れのまま車で帰ってた。
>>16子供にとってはすごい大金だね!
年に一回お盆の時にしか会えなかった。おばあちゃんが内職でデパートの紙袋の紐通ししてたから、よく一緒にしてた。
パフェ食べに行って2人で、祖母と食べてたこと。
夜になったら迎えに来るからと言われ山奥のばあちゃんちに置いて行かれた。夕方お散歩にいって夕日が凄く綺麗で川がキラキラして小さな古い橋がかかっててみた事ない景色に感動した。そこに行ったのは1度きり。夜になってもお迎えは来なくて連絡もなくて落ち込みながらばあちゃんとグレムリン観たのが忘れられない(笑)
おばあちゃんがおんぶしてくれたこと。
迎えに来てくれて幼稚園から歩いて帰るのに、途中のお地蔵さんのところで座っておやつを食べたこと。
母にとっては鬼姑だったらしく、亡くなった今でもあれこれ言ってるけど、孫にとっては優しいおばあちゃんでした。
>>7
ふいたw
楽しい思いでだね。
>>7
ばあちゃん皮食べたかったのね笑
所有の山のてっぺんに孫の私たちが乗って遊べるブランコを作ってくれたのが一番はじめに浮かんだ思い出かな。
椎茸狩りや栗拾いもしたな~。
>>11
うちも!今でもばあちゃんティッシュに包んでくれる!私30過ぎてるんだよ!
結婚してみすぼらしくなったの心配してるみたい。子どものものはあるんだろう、あんたの物買いな!靴下でも!って一万円札くれた。泣けた。
テレビにモー娘。とか、同年代の女の子が映るたびに「○○ちゃん(私)の方がかわええなぁ。」っておじいちゃんが言ってたこと。
お母さんが夜勤の日はおばあちゃん家に泊まっていたんだけど、おばあちゃん、普段は和食しか作らないのに、私や弟のために慣れないカレーやオムライスを作ってくれたこと。
クリスマスには、必ずサンタの格好してプレゼント届けに来てくれた。
遊びに行くと卵焼き作ってくれた。母の味よりおばあちゃんのが好きだった。もう食べられなくて悲しい。
保育園の迎えはいつもおじいちゃん。いつも駄菓子屋寄ってお菓子買ってくれた。
出掛けるときは大量のお握りを作ってくれた。いつもすごく美味しくて楽しみにしてた!戦争の話をよくしてくれた、お金の使い方や、人生訓話みたいのをいつも聞かされて、おばあちゃんちの帰りは身を正された思いだったなぁ。
幸せな話じゃなくてごめん。
私の実母。酒と借金、男、で…色々だらしなくて、更に勤務先の病院から薬を持ち出したり、同僚の財布からカードを盗んだりしていた。父親もそんな母に手を焼き、母を殴っての夫婦喧嘩、しょっちゅうだった。
小1の夏、突然母親がいなくなった。父親の印鑑を盗み勝手に離婚届けを出し親権も父に印を付けて母がいなくなった。
以後、父と祖母(父の母)と暮らしたけれど、祖母からは朝起きれないだけで『○○(母)の血のせいでお前(私)はだらしない』と叩かれたり、常に母親の血を理由に怒られてた。同時に、母親の素行や、借金も小学生だったそのときに聞かされ、『お前の母親は、○○(父)に黙ってハンコ(印鑑)まで盗んで勝手に席を抜いてお前を捨てたんだ』と、言われ色々母親のことや自分が『捨てられた』事実を言われ続けてた。
思春期になってからは、中学生のとき男の子からもらったラブレターをこっそり引き出しにしまっていたら見られ『母親そっくりな淫○』と言われたり、手帳にカラオケと書こうものならばやはり『淫○』と言われた。(淫○の意味は後から知ってすごくショックでいまだに引きずる)。
父と祖母の元から離れ、今15年。
私は夫と子供3人に恵まれ暮らしています。
有難いことに夫は職に恵まれ経済的に裕福だと思う。
現在祖母は、父を含めて自分の子供4人から見放され(うち、1人は6年前に自殺。それすら祖母は知らない)。今はもうあのときの私を罵る祖母の姿はもうなく、毎月の私の仕送りを頼りに『ありがとう、悪いね、悪いね』『オイなんてシねばいいんだよな』って、私に電話で嘆き仕送りで生きている感じ。
シねばいいとは思わないし、私も育ててはもらったから最低限のお金だけは渡している。けど、当時の傷ついた言葉とか…ずっと心に引っかってる。だから、シなせないようにお金だけ渡している感じ。心の繋がりは昔も今もないや。悲しい。
一時、母方の祖父母と一緒に住んでたけど祖父は口うるさかった。かっぱえびせん、黒飴、コーラ、サイダー常備してた。いつもソファに座ってて相撲とか野球とか見てた。朝一番に病院行くのが生きがいみたいな人だった(笑)
祖母は優しくてニコニコしてかわいかった。一緒にヨモギ取りに行ってヨモギ団子作ったり、うどん作ったりしたなぁ。
二人とも私の子が産まれる前に死んじゃった。
夏休みはずっと母の実家に預けられていた。
祖母も仕事をしてて夕方に帰ってくるのを近くの橋まで迎えに行っていた。
私の大好きな豆乳のフルーツミックス味を必ずお土産に買ってきてくれた。
今も豆乳のフルーツミックスを懐かしくて必ず買ってしまう。
おばあちゃんはいつもお昼ご飯にお弁当を宅配を頼んで食べてた。私その中に入っている甘く煮てある豆が大好きなんだけど取っておいてくれた。
家の近くにパン屋さんがあってしょっちゅう
2人で買いに行ってた。
懐かしいなぁ…
私と弟二人、いとこの男の子二人の計5人をおばあちゃん一人で、遊園地やミュージカルやデパートや色んなところにたくさん連れてってもらった。
祖父は酒癖悪かった。
小さい頃、祖父に連れられて家の回りのホタル見に行った。
去年亡くなったんだけど、その何ヶ月後位に動物園に行った時、ホタル館?みたいな所に入ったら、暗闇の中でひぐらしとかカエルが鳴いて蛍が光って説明が流れるだけなのに懐かしくなってボロボロ泣けてきた。
なんか、小さい頃に戻ったみたいな感覚だった。
おじいちゃんがお腹痛いって言って、頼まれて近所の薬局にいちじく浣腸買いにいった。お腹の痛みは治らなかったけど、塾に行く私を駅まで軽トラで送ってくれた。お腹の痛みは便秘じゃなくて膀胱ガンで、その後入院して家には二度と帰って来られなかった。思い出すと涙が出てくる。
おばあちゃんはひ孫(私の息子)とトミカでよく遊んでくれたな。おじいちゃんが戦争中特攻隊で呼ばれたけど寸前で終戦したいきさつとかをよく聞かされた。
母方祖母
寒くてコタツ入って寝て両手を体の下に入れてたら、「お前は何してるんだ!こんな昼間にするんじゃない!」と怒られた。意味不明。
母方祖父
料理人だったから料理がすごく上手だった。バレンタインにチョコ渡すと照れてた。
父方祖母
寝る前に、川の流れのようにを大熱唱してた。いつもメンソレータムつけてた。
父方祖父
何か気に障ったらしくハエたたきでバシバシ叩かれた。
下の階に住む祖父母宅に週末泊まりに行ってて、夜の8時頃から祖母と一緒に本屋さんの隣にあった喫茶店によく行ってた。
その喫茶店は祖母のお友達がやっているとろで、喫茶店と本屋さんはドアひとつで繋がっていたから夜にひとりで本屋さんをウロウロするのが大人な気分で楽しかった。今はなくなってしまった本屋さんだけど、今でも本屋さん独特の香りを思い出す。
喫茶店では毎回カルピスと大好きなバナナトーストを頼んでた。大人になってから自分でバナナトーストを焼いてみたけど、なぜかあの時の味にはならない…。
祖父母は今もすごく元気で頻繁に会うけど、昔のように一緒に出掛けることは少なくなったなぁ。
>>9
↑
母方の祖母の話です。
父方の祖父母は私は5人きょうだいですが、私だけが気に入らず、いつも虐めてきた。
私の姉も一緒になって虐めてきた。
祖父母は近所に住んでいて、両親は共働きだったから学校から祖父母宅に帰るのが日課だったが、帰るのが苦痛だった。
私が中3の時に祖父が亡くなったが、涙は全く出なかった。
祖母は1人になった寂しさから?急に優しくなったが、小さい頃に言われた
お前は馬鹿だ、何を言ってるだ・・・
などの言葉や態度は忘れるハズもなく、優しく出来なかった。
10年前に亡くなったが、晩年は誰も祖母宅に近寄らず、事故死している。
涙は祖父同様、出なかった。
祖父母宅は今は妹が住んでいるが、嫌な思い出しかないから、近寄りたくない。
山に囲まれ、お墓があるから怖いのもあるが。
母方祖父母は私を凄く可愛がってくれたから、今でも感謝しています。
私が1歳の時に祖父が亡くなっているから、会ってみたい。
思い出って言うか…母方は7人兄弟で従兄弟が沢山いるんだけど、祖父に抱っこされたのは私だけ。二十歳の時に守護占いってのに視て貰ったら、背後にいるのが祖父だった。占う前に言ったのは生年月日と名前だけ。
私の守護霊は祖父ってことで思い出とはズレたけど。
父方の祖母が好きすぎで亡くなって10年もたつのにまだ会える気がしてならない。
小料理屋してたらしく料理は何を作っても絶品。
編み物も得意だった。運動会になると祖母にでんわしてしつこく巻き寿司をリクエストしてたな。 いつもおいしく作ってくれた。
孫三人もいるよ。優しい旦那もいるよ。会いたいな~‥
父方の祖父、生まれる前になくなってるから、わからない。
父方の祖母、パチンコによく連れていかれて帰りご馳走してくれた。お姫様みないな洋服や食べたい物どっさり買ってくれた。
母方の祖母、今の母親そっくりで、すぐ怒って嫌いだったから、ほとんど話してないけど、七五三や成人式の着物を呉服屋さんで買ってくれた。家に行くと、たくさん夕飯が出てきて、食え食え言ってた。
母親の祖父、美術館巡りが好きで、いろいろ連れていって貰った。山下清展の帰りに七夕祭りに行って花火大会みたのが一番おぼえてる。私の子が産まれた時、じーちゃんしか生きてなかったけど、おもちゃや服やお小遣いを会うたび毎回くれた。
大好きな祖父母に花嫁姿、子供を見せて、抱っこさせたい。
会いたいな。
ドラえもんのおばあちゃんの思い出を見るとマジで泣けるし、マジで会いたくなる。
私が4歳で妹が産まれるんで預けられたんだけど、夜中に見た猿の惑星を忘れられない、夜中って程じゃないかったのかもしれないけど、部屋を暗くして布団から見た。
それと当時、食が細いのと好き嫌いがあって、白ご飯の上に甘いキナコをかけたキナコごはん。
アレはハマったなー。
私が高3の時におじいちゃんが認知症になってしまった。
おじいちゃんはプロレスが大好きだったから、プロレス観戦しに行こうと誘って、二人で観に行った時のこと。
「孫と久しぶりのデートだなぁ!うれしいなぁ。こうやってプロレス見に来たことはボケが進んでも忘れたくないよ…」と言って泣いていた。
おじいちゃん自身も症状が進んでいくのが怖くて辛かったんだろうな(T_T)
おじいちゃんとのデートは忘れられない思い出です。
北海道のばぁちゃんが我が家に遊びに来た時に母親と台所で料理しながら、人参のヘタの部分切ったやつを私に見せて、このヘタの周りも切って使うんだよ、もったいないから…って言ってたのをなぜかよく覚えてる。
使ってないけどねw
ばぁちゃんとスーパーに行った時に、細かいのがなくて探してたから『お金あるよ!』って言ったら『なんでお金あるの?』って聞かれてる間に自分の小さいポーチから出したのが、おもちゃのお金だったのを凄く覚えてる。
母方の同居してたおばあちゃん。
肌が白くて胸大きくていつも化粧のいい匂いさせてた。一緒に寝たりお風呂はいってたなあ。
軽い反抗期中に脳卒中で亡くなっちゃった。具合悪くて寝出したから、ごはんとっておかないよーって意地悪言っちゃった。そのまま悪化して救急車で運ばれて次に会ったのは亡骸だった。
大好きだったのに未だに後悔してるよ。ってまた久しぶりに思い出したら涙出てきた。
小さい頃は毎週末、約2時間電車に乗って母方の祖父母の家に泊まりに行った。
必ずおじいちゃんは手作り水餃子やラーメン、おばあちゃんは卵焼きとかを作ってくれた。
帰るときはおじいちゃんは笑顔で、またおいでって言って握手、おばあちゃんは外まで出てきてくれてほっぺにチューしてくれた。お互いに見えなくなるまで手を振ってたなぁ。
もう二人とも亡くなっちゃってるけど、今でも会いたくなる。
爺ちゃんと婆ちゃんに育てられた様なもんだからいっぱいある。
爺ちゃんは余り喋らない人だったけど怒ると怖いけど優しい人だったと思う。
雪が積もるとバス停まで雪掻きしてあった。結構な距離なのに。
小学校の時とか帰宅が遅くなると黙って途中まで迎えに来てくれてた。
婆ちゃんは風邪とかひくとお粥作ってくれたり抱いて寝てくれた。
大きくなっても冷え性の私を「氷みたいだなぁ(笑)」って言いながら布団の中で手足暖めてくれた。兄と差別されてる私を可愛がってくれたなぁ。
ご飯が田舎料理だけどすんごい美味しかった。
爺ちゃん婆ちゃん居なかったらどう育ってたんだろうと思う。両親いるけど親だと思ってない。
死んだ爺ちゃん婆ちゃんが私の親です。