• No.17229 枝豆

    17/02/21 12:05:54

    川崎市の多摩川河川敷で殺害された市立中学1年の男子生徒=当時(13)=の父親が、苦しい胸の内を明かした。事件の発生から、20日で2年。最愛の息子を奪われた悲しみは、時の中で凍り付いたままだ。

     川下からの冷風が肌を刺す。近くの工場の外灯も届かない暗闇に包まれた河川敷。20日午前2時ごろ、父親はたった一人で現場を訪れた。事件後、何度も足を運んだ場所だが、息子が暴行を受けたとされる時間帯を初めて選んだ。

     「息子が最後にいた場所。この日の、この時間に必ず来ると決めていた」

     その場に集うボランティアの男性らに一礼した後、花束が手向けられた草むらをゆっくりと横切り、多摩川の水面をじっと見つめた。

     男子生徒は川崎に引っ越す小学6年の7月まで、島根・隠岐諸島の西ノ島で過ごした。本土までフェリーで片道3時間近くかかる自然豊かな離島。小さな島のあちこちに、思い出がちりばめられている。

     いつも釣り糸を垂れていた岸壁、真っ黒に日焼けするまで泳いでいた海水浴場…。島で漁業を続けながら、いるはずのないわが子の姿を探してしまう。

     〈おとうへ さかな いつもありがとう〉
     保育園を卒園する前の「父の日」。拙く、たどたどしい字で、感謝の思いをつづってくれた短冊ほどの紙片は宝物だ。今もタンスの引き出しに大切にしまってある。

     最後に会ったのは、事件の約2カ月前。京急川崎駅近くの回転ずし店に連れていくと、好物のマグロとサーモンばかりを笑顔でほお張った。「悩みを見せず、親に心配をかけまいとしていたのかもしれない」。そう思わずにはいられない。

     生きていれば今春、中学を卒業するはずだった。島の同級生たちは身長がぐんと伸び、高校受験の話で盛り上がる。「息子はどうだろうと考えても、その姿を想像することができない。僕の中では中学1年の時で止まったまま」。むなしさだけが胸に込み上げる。

     犯行時未成年だった3人の有罪が確定しても、13歳で未来を断ち切られた無念は晴れず、怒りや憎しみが消えることはない。むしろ、時間がたつにつれて膨らむばかりだ。

     今も息子の名前を口にすると、涙が止まらなくなる。「事件後、息子の夢を見たことがないんですよ」。父親は唐突に言って、こう続けた。「夢でもいい。会いたい」。茶色のハンカチを持ち、あふれる涙を何度も拭った。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

広告

返信コメント

  • No.17231 せせり

    17/02/21 12:57:22

    >>17229
    ボランティアの人達も夜中に集まったの?

  • No.17233 もも

    17/02/21 17:48:10

    >>17229
    加害者に復讐したいよね。

1件~2件 ( 全2件)

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。