【本当にあった泣ける話】

利用ルール・禁止事項をご確認ください
誹謗中傷、個人情報、プライバシーを侵害する投稿は禁止しています。
また誹謗中傷においては、法改正により投稿者の情報開示について簡易な裁判手続きが導入されております。

古トピの為これ以上コメントできません

ママ達の声投稿されたコメントを掲載しています

画像表示ON・OFF

1件~50件 (全 584件) 前の50件 | 次の50件
    • 107
    • ちょっとトピずれかもしかも長文スマソ
    • KDDI-SN32
    • 05/10/11 20:43:05

    ネットで見た話。ある病院のガン病棟の大部屋に二人の男が入院していた。窓側の男は起き上がれず外の景色も見れず『もう俺は死ぬんだ』と悲観的になっている壁側の男にいつも窓の外の様子を話してあげていた。『もう桜がさいてきたよ。暖かいんだろうなぁ』『葉っぱが緑になってきた。木にセミがとまってるよ』など、とても楽しそうに話してくれていた。ある夜、窓側の男の容態が急変した。『うぅ…息が…苦しいんだ。先生を…呼んでくれないか…』窓側の男は壁側の男に助けを求めたが窓側の男は『こいつが死ねば俺が自分の目で外の景色を見れる。』と思い気付かないふりをして寝た。次の日窓側の男は息を引き取った。壁側の男は念願の窓側のベッドに移れた。『看護婦さんカーテンを開けてくれないか』看護婦はカーテンを開けた。そこにあった景色は打ちっぱなしのコンクリート一面の壁だった。

    • 0
    • 05/10/11 20:57:46

    私には片方手がありません。そんな私も結婚し子供を産みました。これは、娘が5歳のときの話です。その年のクリスマス、娘は実家に泊まりに行っていました。朝起きると、分厚い絵本がおいてありました。(寝かし付けの時に必ず本を読みます)とても喜んでいたそうです。しかし、家には持ち帰ってきませんでした。プレゼントのことを聞くと「バァバの家に忘れちゃった」としか言いません。数日後、母から電話がありました。「Aちゃんね、サンタさんくれたけど、ママ手いっこしかなくて、重たくてこの本持てないからおいてくね」と言っていたそうです。何も知らなかった私は嬉しくて、娘に申し訳なくて、電話口で泣きました。

    • 0
    • 109
    • 長文失礼。
    • N901iC
    • 05/10/11 21:14:41

    父は昔気質の堅物人間で、口より先に手が出、箸の上げ下げ、敬語の使い方一つ、いちいち注意される。自分にも人にもとても厳しい父が私は大嫌いでした。
    そんな父がガンになりました。発見時はすでに末期。入退院の繰り返し、死を待つだけの日々。しかし母は最期まで父には病名は言えませんでした。
    ある日、仕事から帰ると父が台所で洗い物をしていました。ありえない光景。あれだけ威張り散らし、仕事以外何一つしなかった父が…。「何してるの?!」と言うと小さく笑いながら「何もできなくなっちゃったからよ、タダで飯は食えないだろ」と言いました。その背中は元気な時の半分くらいまで痩せていました。
    そして最期、強い鎮痛剤で意識が混濁する中、うわ言で言いました。「やっぱりダメだったのか…」
    父は死が迫る病だと分かっていて、言えなかった母を思い、知らないフリをし一人で戦っていたようです。
    そして静かな最期でした。最期まで自分にも厳しかった父が今でも誇りです。

    • 0
    • 05/10/11 22:40:29

    従姉のお姉ちゃんの話。

    従姉と言っても、実家は隣同士なので、一人っ子同士の私達は本当の姉妹のように仲が良かった。

    そんなお姉ちゃんが、七年前結婚しました。
    旦那さんはとても素敵な方で、何より優しくて、お姉ちゃん凄く幸せそうだった。
    すぐに二人の間には男の子が産まれ、その子も又可愛くて、誰が見ても幸せそのものでした。

    そんなある日、何故か離婚したと、お姉ちゃんは戻って来ました。それも、あれだけ可愛がってた最愛の息子を置いて…。

    お姉ちゃん癌だったんです。だけど、旦那さんには知らせず、息子が母親なしになるのが可哀相だと言い、旦那さんには好きな人が出来たと嘘を付いて別れたみたいです。

    余命も自ら、医者に聞いたそうで、持って一年と言われたらしいです。

    毎日病院で泣き崩れている、お姉ちゃん。だけど、絶対に旦那には連絡しないでと。これが私からあんたへの最後のお願いと言われてしまいます。

    余命一年と言われたお姉ちゃんですが、それから頑張って四年生きました。私、やっぱり耐えられず、伯母に頼んで、元旦那さんに連絡しちゃったんです。

    電話に出た旦那さんは泣いてました。でも、背後から女性の声と、楽しくはしゃいでる子供の声が。

    数日後、旦那さんから連絡があり、お姉ちゃん会いたいと。

    私は、こっそり病院を教えました。旦那さんはわざわざ飛行機で会いに来たみたいです。子供と新しい奥さんと。

    後日、お姉ちゃんから私に連絡があって、ありがとうと言われました。新しい奥さんも凄く良い方だったらしく、二人の間には子供は作らない?出来ない?らしく、この子を一生かけて守りますと。四年振りに会った息子は、とても良い子に育っていたそうです。

    息子に会い、泣いてしまったお姉ちゃんの事を、息子が頭をなでなでしながら、泣きたい時はいっぱい泣いても良いからね!って言われたそうです。

    それから、一週間後、お姉ちゃんは天国に行きました。

    • 0
    • 111
    • ↓かなり泣けました。
    • KDDI-SA33
    • 05/10/11 23:07:16

    感動です。

    • 0
    • 112
    • キティ子(=´ー`=)ニャン
    • KDDI-TS32
    • 05/10/11 23:52:17

    ↓久しぶりに感動した(T_T)

    • 0
    • 05/10/12 00:07:23

    涙ボロボロ

    • 0
    • 114
    • 感動したので
    • N901iC
    • 05/10/12 01:25:38

    あげます&#x{11:F99A};&#x{11:F99A};

    • 0
    • 05/10/12 13:13:32

    私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。

    当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
    私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
    母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
    私達の世話は一切しませんでした。

    そこで、私達はいつも近所に住むAさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
    ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
    本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も抱っこしてくれました。
    夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。

    「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
    Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て嬉しくなった私は、
    その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを擦りつけて家に帰りました。

    家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
    「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
    と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
    着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。

    「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
    その母の言葉を遮るように祖母は、
    「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」と言って、
    母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
    「も、申し訳ありません…」
    さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
    私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。

    「バカヤロウ!」
    突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
    仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、
    ごみ袋から母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
    「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
    後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
    小さな肩を震わせて、必死に強がって…
    そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
    「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
    泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
    これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…

    • 0
    • 05/10/12 16:34:07

    最初から、読みました&#x{11:F994};凄い感動&#x{11:F99F};&#x{11:F9D3};&#x{11:F99F};

    • 0
    • 117
    • 感動&#x{11:F99F};
    • N901iC
    • 05/10/17 11:09:48

    あげ&#x{11:F99A};

    • 0
    • 118
    • じいちゃんの話
    • KDDI-CA31
    • 05/10/17 11:54:27

    私の母は6人兄弟です。末っ子という事もあり、じいちゃんとばあちゃんはかなり歳をとっていました。
    歳をとっている事や、訛りのせいもあり、何を話しているのか分からず、子供ながらに居心地の悪さを感じた事もあります。何か話しかけてもらった…という記憶もありません。
    じいちゃんとばあちゃんが仲良く喋っていた…なんて記憶もありません。
    ばあちゃんは体が弱く、私が小学校4年生の時に突然亡くなりました。
    通夜の時、死というものがイマイチ理解出来ず、戸惑っていた私の目に入ってきた光景…それは、何時間もばあちゃんの前に正座し、遺影をじっと見つめているじいちゃんの姿…。
    私はじいちゃんの姿を見て、ばあちゃんが死んでから初めて泣きました…。
    死というものがイマイチ理解出来なかったけれど、じいちゃんとばあちゃんの絆みたいな物は本能的に感じとったのかもしれません。
    あの光景は未だに頭の中に焼き付けられています。
    じいちゃんは、ばあちゃんが死んで7年後に逝ってしまいました。

    • 0
    • 05/10/27 07:35:52

    アゲ

    • 0
    • 05/11/10 00:41:29

    あげます

    • 0
    • 121
    • この話は
    • KDDI-TS31
    • 05/11/10 00:57:23

    寝る前に読んではダメだ…泣きすぎて明日はきっと瞼が大変な事になる(;_;)

    • 0
    • 122
    • あげついでに
    • P900i
    • 05/11/10 20:55:48

    私には10歳離れた妹がいます。
    私は中学卒業してから、高校へは行かずバイト生活。両親は妹にべったり。妹が生まれてから、両親は私に興味なし。
    確かに妹は可愛かったけど、将来のことなんかを両親に相談できなかった。少し淋しかったな。
    そんなとき、妹が入院。あんなに元気だったのに、だんだんと細くなる妹。
    お見舞いに行くと「ねぇちゃん、早く元気になって幼稚園のみんなと遊びたい」ってよく言ってた。
    入院して半年、妹は6歳になる手前で亡くなりました。
    バイト先から病院へは2時間。間に合わなかった。悔しかった。
    あれから、もう15年がたち私の子ももうじき5歳だ。
    最近、両親から聞かされたことが1つ。
    『○○ちゃん(妹)が危篤になる前ね「ママ・パパありがと。大好きだよ。でも○○はねぇちゃんが一番好き。ねぇちゃん大切にしてあげてね」って言われたよ。お前のことほったらかして悪かった』って言われました。

    ○○へ。。。ねぇちゃんも○○が一番好きだよ。病気治してやれなくてごめん。最後逢えなくてごめん。心配させてごめん。いつかねぇちゃんがそっちに行ったら一杯遊ぼうね。それまでは見守っててください。
    みなさん長文失礼しましたm(__)m

    • 0
    • 05/11/11 10:19:50

    とても感動しました!

    • 0
    • 05/11/11 10:40:41

    まだ途中だけど。。 どれ見ても号泣

    • 0
    • 05/11/21 18:09:16

    あげ

    • 0
    • 05/11/21 20:02:52

    19で水商売に入り、22で妊娠・未婚出産。周りに助けられながらも自分なりに生活してた。
    そんな中、25の時に高校時代の元彼と再会した。初めは『私は子持ち、彼は初婚』という面で交際を拒んだけど、付き合うようになった。
    彼の実家はとても厳しく、反対されるのは分かってた。案の定、親から電話があり「人の大事な息子を遅くまで引き留めるな!!ワシはお前達の交際は認めない!!」と怒られた。彼には「水商売して未婚出産した女は信用出来ない」と言ってたくらい…。
    傷ついたけど分かってた事だったから、理解してもらえるように何度も彼の実家に通い、少しずつだけど自然に彼の両親と仲良くなれた。
    そして私達の結婚式…。締めの挨拶の時、彼の父は「娘と孫が同時にできた。喜びも2倍です。」と号泣。。。
    あれだけ反対されてたのに…と、喜びがこみ上げてきた。
    彼の母は「〇〇君(私の息子)をこんなに立派に育ててくれて…ありがとう」と泣いた。
    そんな二人は今では私や息子、そして結婚してから産まれた娘に甘く、旦那が「実の息子の俺は眼中になさそうだ…」とすねるくらいです。

    • 0
    • 05/11/21 22:40:23

    全部みた。やばい。うちの父も50代で亡くなりました。病気ながらも元気で居たのに……娘を一瞬みて逝きました。手紙を書いて棺の中に入れようとした何日かまえ夢に 手紙よんだよ。ありがとうと。私を抱き締めてくれました。頑固できびしい父が苦手で家でしたり、逆らってきたのに、やっと親孝行をしようと思ったときもう父は居ません。

    • 0
    • 05/11/21 23:14:10

    涙がとまらん&#x{11:F9D3};
    あげあげェ&#x{11:F99A};

    • 0
    • 129
    • 娘ラブ
    • KDDI-SA34
    • 05/11/21 23:39:03

    子供の頃から疑問だった。母の母(お祖母ちゃん)はよそよそしくて同じ孫にあたるイトコ達とは何か違った接し方だった。母はばあちゃんと話すときは敬語だった。そんな遠くもないのに会いに行く時はお盆と正月だけだった。そんなある正月の話。ばあちゃんちに行ったらばあちゃんが「これお母さんの結婚式のビデオ出てきたから見るかい?」って。あたし達姉妹はみるみる!って大興奮。でも母は「絶対見てはダメ」って。母「母さん私まだこの子達に言ってないんだよ」って意味ありげな発言。何だろう?って思いながらもビデオ再生。若い父と母(笑)仲人が二人を紹介し始めた。父から~母に。あたしの耳に入ってきたのは「養女」。謎が全て解けた気がした。妹二人はまだ小さかったから気付いてない様子だった。
    ばあちゃんだと思って人は本当のばぁちゃんぢゃないんだ…。凄くショックだった。
    母と温泉に入った時に「お母さん養女だったんだね」って聞いた。母は「そうだよ、もう少し大人になってから話そうと思っていたんだけど。」あたし「本当の親はどこにいるの?」母「母は体が弱い人でお母さんが10歳の時に死んだよ。父は馬から落ちて死んだの。今のばぁちゃんは全く赤の他人って訳ぢゃないよ。貰われた時はお姉ちゃんと一緒だったから良かったよ。」
    母「お母さんね、今とっても幸せなの。結婚して子供が三人いて家族で暮らしてる事が。〇〇、きょうだいは仲良くケンカしないで助け会わなきゃだめなんだよ」凄く重みのある言葉で泣いた

    • 0
    • 05/11/22 10:09:29

    あげ

    • 0
    • 05/11/22 10:47:06

    あげ

    • 0
    • 05/12/03 21:13:27

    あげ

    • 0
    • 05/12/03 23:50:09

    あげ

    • 0
    • 05/12/04 00:19:10

    感動しすぎて涙が止まらない…。
    胸が痛い

    • 0
    • 135
    • ヤバイ
    • SH700iS
    • 05/12/04 02:16:07

    ここまで泣けるとゎ…寝る前に読んでしまった。頭ガン②目も鼻もヒリ②…

    • 0
    • 136
    • [自分の]P901iさんへ
    • PC
    • 05/12/04 02:25:37

    切ないですね(;;)

    • 0
    • 137
    • イタチがO(´∞`)O③匹
    • P901iS
    • 05/12/04 02:56:30

    先日、4歳のいとこが机の引き出しを開けて遊んでいたら、ピンクの紙切れを見付けました。ばあちゃんが見てみると、私が小学生の時じいちゃんに宛てた手紙でした。
    じいちゃんは肺癌で手術を繰り返していました。その何度目かの術後入院しているときに書いたようです。私は書いたことを忘れていたのですが、手紙にはじいちゃんの絵と、みんな待っているので帰ってきてと繰り返し書いていました。
    じいちゃんは癌と最後まで戦い7年前に亡くなりました。今年はじいちゃんの法事です。じいちゃんの法事の直前に手紙が見つかるなんて、偶然ですがうれしかった。じいちゃん、手紙は仏壇にそなえるからね。曾孫抱いてほしかったよ。天国でずっと私たちを見守っていてね。

    • 0
    • 138
    • 号泣…(;_;)
    • SH700i
    • 05/12/04 03:38:15

    皆さんの話、泣けます…
    私もおばあちゃんがいました。厳しかったけど優しかった。共働きの両親の代わりにいつも側にいてくれました。
    その後、入院。私は日々痩せていくおばあちゃんにショックでお見舞いに行けず母によく叱られました。
    でも毎日仕事の行き帰りにおばあちゃんの部屋の窓が見える道を通り『早く良くなってね』と祈っていました。
    亡くなる前日、たまたま母とお見舞いへ。意識ももうろうとしているはずなのに、帰り際急に私の手をとり『ありがとう』と言ってくれました。
    それが最後の言葉だったそうです。
    もっと会えばよかった…ごめんね…

    • 0
    • 05/12/04 03:39:20

    もう…鼻水すごいし目は腫れまくり。
    あー泣いた!

    • 0
    • 140
    • アヒャ(∩´∀`∩)アヒャ
    • V802SH
    • 05/12/04 04:27:58

    当日中3の春私ゎ荒れてて親トカ先生トカ本当に嫌いで学校にもまともに行かず遊び回ッてました…そして中3の夏生理が来ない事に気付き保健室の先生に相談…少し様子見る事に9月に入リパンツが少し汚れるくらいの不正出血があリ…生理かな?と安心していました。そして生理なンて気にかけず2ヵ月が過ぎ11月になりやはり生理が来ない事に気付き先生に相談…検査薬で調べ…妊娠していました。その事を先生に伝え即お母さんが仕事場から学校へ呼び出され 保健室の先生 生徒指導の生徒 私と母で話す事に…私ゎずっと泣きじゃくっていたので先生が母に事を説明してくれました。その時私ゎ殴られると思ッていたら母ゎ起こりもせず…ただ涙を流し『気付いてあげられなくてごめんね。』と謝ッてきたのです。そして次の日母に付き添われ病院へ行きました。エコ-で見るものの赤ちゃんがいる袋ゎあるのに姿がなかッたのです。蓄溜流産していたのです。私ゎ何の事かさっぱりわからず手術の説明も頭に入りませんでした。

    そして学校へ連絡…その時先生に言うわれた言葉が…

    赤ちゃんゎ空の雲の上から私達を見てて〇〇(ワタシ)が彼氏との赤ちゃん欲しいなあッて強く願ったから来てもいいのかな?ッて思ッて降りてきちゃったんだよ(>_<)でも赤ちゃんゎなんか違ったかな?ッて気付いてお空に戻ったんだよ!また〇〇のお腹に戻ッてくるからその日まで素敵なママになる為に頑張ろうね?

    と言ってくれました…。
    母も最後まで私を一言も責めなかったです。今私ゎ17才で3ヵ月娘のママをしています。旦那と本当に幸せです。


    なかなか言葉まとまらず長文・乱文すいませんでした(;Д;)

    • 0
    • 141
    • 懺悔させて下さい
    • KDDI-HI33
    • 05/12/04 05:03:08

    父が糖尿病を患って、足を切断しました。
    車や登山でプロだった父から全てを奪った病気は、術後の経過もいいのに気力までも奪い、体力自慢の父を死に追いやりました。
    ある日、私は父の病気で陰気だった家を抜け出す為に一人でのドライブを計画しました。
    それを知った父は私に一緒に連れて行ってくれと頼みました。なのに私は父と一緒だと車椅子や介護が面倒だと言い、頭を下げた父をうざがり一人で行きました。
    厳格で強い父が私に頭を下げた…嫌でした。強い父しか知らない私には辛すぎて受け入れてあげられなかった。
    一番辛かったのは父なのに。
    「寿命には逆らえないよ」と捨てセリフを吐き、その夜は父とケンカしたまま就寝し、翌朝出勤の時に父の部屋に向かって「いってきます」と言い、返事がなくまた「返事くらいしろよな」と暴言を吐きました。
    もしあの時、襖を開けていたら助かったかもしれない。
    ドライブに一緒に行けば死ななかったかもしれない。
    寿命には逆らえない、て言ったから?

    大好きだったパパにあんな言い方してごめんなさい。
    私、ちゃんと車とスキューバのライセンス取ったよ。スキーも指導員の資格取った。約束した槍ヶ岳にも登った。三国志全部読んだ。
    去年息子が生まれたよ。山にちなんだ名前を付けた。
    パパに教わった事全部、息子にも私が教えるから。

    あんな事言ってごめんなさい。

    自己満足の長文乱文失礼しました。

    • 0
    • 05/12/04 06:02:18

    やばい、鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃ…

    • 0
    • 143
    • o(T△T=T△T)o
    • KDDI-CA31
    • 05/12/04 06:18:04

    みんなの読んでたらじいちゃんのこと思い出しちゃった…

    じいちゃんはお酒が大好きでした。毎日飲んでは私や妹を相手に永遠とよく分からない話をしていました。
    私が小学生だったある日じいちゃんに『ワシは早よぉ死んだほうがええじゃろ?こんな酔っぱらい邪魔なだけ』と言われ幼かった私はじいちゃんがそんなことを言い出したことが悲しくて何も言えずに涙をこらえるのが精一杯でした。
    中学3年の時学校から帰ると誰もいなくて母からじいちゃんが脳梗塞で手術を受けたと言われました。
    その日以来じいちゃんは機械につながれ意識が戻ることはありませんでした。私は昔じいちゃんに『死んだら駄目』って言えなかったことが引け目に感じて病院に行けませんでした。じいちゃんの様態が悪くなりだし母さんに病院に連れて行かれました。ベッドに横たわって機械につながれたじいちゃんは誰か分からないほとやせ細っていて涙しか出ませんでした。
    それから2ヶ月後じいちゃんが危篤という連絡を受け病院に行きました。家族がみんな揃った時母が『父さんもう頑張らなくていいよ。ゆっくり休んで』と言うと機械の音が段々ゆっくりになっていってじいちゃんは亡くなりました。
    大好きだったじいちゃん私は今でも後悔してるよ。あの時ちゃんと『死なないで』って言えばよかった。もっと沢山病院に行けばよかった。ごめんなさい。
    もっと長生きしてほしかったよ。曾孫の顔見せたら喜んでくれただろうなぁ…

    長文失礼しました。

    • 0
    • 05/12/04 06:30:14

    去年の話しです。私は結婚して5年になります。主人は1つ上です。子供も2人授かり仲良く生活してました。去年の春頃、主人はいつも通り車で仕事へ行きましたが5分後に忘れ物を取りにかえって来て出掛けました。主人が仕事へ行ってから30分後位に警察から電話が来てダンプとぶつかり病院へ運ばれましたので至急来て下さいと言われ子供を預け向かいましたが即死でした。ダンプの居眠り運転でした。事故の大きさを示すように主人の傷はすごかったです。お葬式も終え初七日が終わり主人の言っていた事を1つずつ行動にしてきました。病院で検査を

    • 0
    • 05/12/04 06:33:50

    したら妊娠5ヵ月でした。下の子が生後7ヵ月でしたので生理が来てなくても気にも止めなかったけど主人に病院に行ってきてと頻繁に言われてました。
    生前に報告出来なくてごめんね。3番目も今では1歳になりスクスク育ってます。まだまだ立ち直れませんが前向きに生きていこうと思いました。長文読んでいただきありがとうございました

    • 0
    • 05/12/05 01:13:55

    私のおじいちゃんは田んぼと畑が大好きな人でした。お米はもちろん、野菜も果物(イチゴ)も作っていました。兼業農家だったので朝4時に起き田畑へ行き、それから夕方まで近くの木材工場へ仕事に行き、仕事が終わるまた田畑へ。休みの日はずーっと[〇〇よ、〇〇よ]と相手をしてくれ一緒に田畑へ行ったり花を植えたり…すごくマメな人でした。そんなおじいちゃんが最初に倒れたのは私が小学校3年生の時。疲労で倒れ検査したら胃潰瘍が発見されすぐ入院し手術。会社の健康診断ではずっと異常がでてひっかかっていたそうなんです。でも大丈夫、家族が心配するから…と隠し続けていたみたい…
    それからしばらくして癌が見つかり治療を続けていましたが私が中学生になった頃から入退院が頻繁になりはじめました。私は癌だなんて一言も聞かされず知らなかったので退院して家に居るおじいちゃんに甘えたり、わがまま言ったり…

    • 1
    • 147
    • ↓続き
    • KDDI-SN32
    • 05/12/05 01:26:24

    高校へ入った頃にはほとんど病院で過ごしていました。お見舞いに行くと薬の副作用でしんどいはずなのり元気な姿を見せようと話てくれたり小遣いくれたり…
    でも見た目ではもともと細いおじいちゃんが更に痩せ細っているおじいちゃんを見るのが辛くてそれからお見舞いには行きませんでした…

    私が18歳の時のバレンタインの日。バイト中に[おじいちゃんが危ない]と母から電話がありすぐにかけつけましたが私が着く5分前に息をひきとりました。
    病室に入った時、すごく綺麗な顔だったから[おじいちゃん寝てるの?]と聞いた私に父が[うん。そう]と涙を流しながら言いました。信じられなくて泣き崩れた私をずっと父は抱いていてくれました。
    最後まで田畑の話をし、家に帰りたい、〇〇(私)は元気か?〇〇(13才下の妹)は大きくなったか?と言っていたそうです。
    もっとお見舞いに行けばよかった、もっともっと話したかった…後悔ばかりです。
    あんなに可愛いがってくれたおじいちゃん…
    ありがとう。ごめんなさい…

    私ももう22才になり、今では2人の母になりました。おじいちゃんに抱いて欲しかったよ…
    頑張って立派に育てるから見守っててね。

    長文失礼しましたm(__)m

    • 0
    • 05/12/05 02:18:39

    こっちもあげ。

    • 0
    • 05/12/05 02:22:31

    • 0
    • 150
    • みじんこ,
    • KDDI-HI35
    • 05/12/05 03:21:33

    暇なので荒らし反対あげ

    • 0
    • 05/12/06 19:56:45

    ㊤㊤

    • 0
    • 152
    • 拾いですが…
    • KDDI-SA33
    • 05/12/06 23:13:43

    泣けるというより、せつないお話しです。
    私が小学校5年生位の時の話し。当時私は私立の学校に通っていたため電車での通学をしていた。その日も朝のホームで電車を待つ間、私はベンチに座りその日学校で友達と交換するはずだったシールを拡げて眺めていた。すると『それ、かわいいね』と誰かが声をかけてきた。見るとそこにはいかにもヤ〇〇風という様な怖い感じの中年のおじさんが立っていた。ビックリした私は何も言えずに固まってしまった。するとおじさんは少し寂しそうな顔して去って行ってしまったので、私は子供心に『悪い事したな…』と思い、おじさんを追い掛けさっきまで眺めていたシールを『あげる』とおじさんに差し出した。一番気に入ってたキキララのシール。おじさんはそれを『いいの?』と嬉しそうに受け取った。その笑顔はとても優しかった。その後おじさんと他愛もない会話を多少繰り返した後、ホーム内に電車到着のアナウンスが流れた。

    • 0
    • 05/12/06 23:17:15

    それだけ?何が、どこが切ないの?意味不

    • 0
    • 154
    • つづき
    • KDDI-SA33
    • 05/12/06 23:19:07

    するとおじさんが『危ないから下がってなさい』と私に言った。私もこの電車に乗りたかったので『??』と思いつつも、おじさんがあまりに注意するので、おとなしくホームの中央まで下がり電車が来るのを待った。間もなくホームに電車がやって来たその時…おじさんは吸い込まれる様に線路へと飛込んで行った…。―翌日、新聞でおじさんの事が載っていた。やはりヤ〇〇関係だったそう。それを見て興奮した様子で話す母に私は怒りを感じたのを覚えてる。

    • 0
    • 155
    • 二十歳のとき
    • P701iD
    • 05/12/07 00:12:41

    自動車学校をさぼり、母に電話で嘘ついて彼氏の家に泊りに行った。
    母は『今日は帰ってきなさい!』と怒ってたけど、言うことを聞かない私に『もう!』っと電話を切ってしまった。
    彼氏の家に2日泊まって、月曜の朝家に帰るとき、家の手前で救急車とすれ違った。近所の人がさわいでて、家は空っぽだった。
    救急車に乗っていたのは母だった。脳内出血だった。夜には医師に今夜が山だ、意識はもうもどらないと告げられた。
    3日後母は意識もないまま静かに息をひきとった。

    当時の彼氏とはまもなく別れた。母に嘘ついてまで会う必要はあったのか?最後の会話で嘘ついたこと。あのとき言うことを聞いていれば母を助けてあげられたかも知れない!
    人生最大の後悔だった。

    お母さんごめんね。お母さんの言うことはいつも間違ってなかったのにね。わかってたのに、わかってたのに素直に聞けなくて、それが私の悪いところだってのもわかってたよね。

    ごめんね。お母さんに会いたいよ、もう一度話がしたい、娘も見せてあげたかった、お母さん小さい子供大好きだもんね、自分の孫ならどんなに可愛がるか。今お母さんが生きてたらどんなにいいか…
    お母さん。

    • 0
    • 156
    • 全部読み…
    • KDDI-KC31
    • 05/12/07 01:38:55

    あげ

    • 0
1件~50件 (全 584件) 前の50件 | 次の50件
※コメント欄のパトロールでYahoo!ニュースのAIを使用しています

新しいトークテーマを作ろう

子育てや家事、旦那に関する悩み相談、
TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!

トピックランキング

もっと見る

コミュニティカテゴリ