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不仲じゃないのに歓迎されない実家
14/08/02 20:04:01
それは昭和九年の初め頃だったのです。 Tさんが言っていたとおり、この通州には日本人も沢山住んでいるし、支那人も日本人に対して大変親切だったのです。 しかしこの支那人の人達の本当の心はなかなかわかりません。 今日はとてもいいことを言っていても明日になるとコロリと変わって悪口を一杯言うのです。 通州では私とTさんは最初学校の近くに住んでいましたが、この近くに日本軍の兵舎もあり、私はもっぱら日本軍のところに商売に行きました。 私が日本人であるということがわかると、日本の兵隊さん達は喜んで私の持っていく品物を買ってくれました。 私はTさんと結婚してからも、しばらくは日本の着物を着ることが多かったのですが、Tさんがあまり好みませんので天津の生活の終わり頃からは、支那人の服装に替えておったのです。 すっかり支那の服装が身につき支那の言葉も大分慣れてきていました。 それでもやっぱり日本の人に会うと懐かしいので日本語で喋るのです。 遠い異国で故郷の言葉に出会う程嬉しいことはありません。 日本の兵隊さんの兵舎に行ったときも、日本の兵隊さんと日本語でしゃべるととても懐かしいし又嬉しいのです。 私が支那人の服装をしているので支那人と思っていた日本の兵隊さんも、私が日本人とわかるととても喜んでくれました。 そしていろいろ故郷のことを話し合ったものでした。 そして、商売の方もうまく行くようになりました。 Tさんがやっていた商売は雑貨を主としたものでしたが、必要とあらばどんな物でも商売をします。 だから買う人にとってはとても便利なんです。 Tに頼んでおけば何でも手に入るということから商売はだんだん繁盛するようになってまいりました。 Tさんも北門のあたりまで行って日本人相手に大分商売がよく行くようになったのです。 この頃は日本人が多く住んでいたのは東の町の方でした。 私たちはTさんと一緒に西の方に住んでいましたので、東の日本人とそうしょっちゅう会うということはありませんでした。 ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさんが私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。 そのとき私が日本人であるということがわかると大変なことになるので、日本人であるということは言わないように、そして日本人とあまりつきあってはいけないと申すのです。 私は心の中に不満が一杯だったけどTさんに逆らうことは出来ません。 それで出来るだけTさんの言うことを聞くようにしました。顔見知りの兵隊さんと道で会うとその兵隊さんが、Tさん近頃は軍の方にこないようになったが何故と尋ねられるとき程つらいことはありませんでした。 そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。 何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。 Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。 そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。 只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。 私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。 そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。 だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。 いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。 私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。 そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。 するとTさんはあなたも日本人じゃないかと申したのです。 するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。 日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。 そして安重根という人の話を語りました。 伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。 我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと申すのです。 私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。 なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。 こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.19 あ
14/08/02 20:04:01
それは昭和九年の初め頃だったのです。
Tさんが言っていたとおり、この通州には日本人も沢山住んでいるし、支那人も日本人に対して大変親切だったのです。
しかしこの支那人の人達の本当の心はなかなかわかりません。
今日はとてもいいことを言っていても明日になるとコロリと変わって悪口を一杯言うのです。
通州では私とTさんは最初学校の近くに住んでいましたが、この近くに日本軍の兵舎もあり、私はもっぱら日本軍のところに商売に行きました。
私が日本人であるということがわかると、日本の兵隊さん達は喜んで私の持っていく品物を買ってくれました。
私はTさんと結婚してからも、しばらくは日本の着物を着ることが多かったのですが、Tさんがあまり好みませんので天津の生活の終わり頃からは、支那人の服装に替えておったのです。
すっかり支那の服装が身につき支那の言葉も大分慣れてきていました。
それでもやっぱり日本の人に会うと懐かしいので日本語で喋るのです。
遠い異国で故郷の言葉に出会う程嬉しいことはありません。
日本の兵隊さんの兵舎に行ったときも、日本の兵隊さんと日本語でしゃべるととても懐かしいし又嬉しいのです。
私が支那人の服装をしているので支那人と思っていた日本の兵隊さんも、私が日本人とわかるととても喜んでくれました。
そしていろいろ故郷のことを話し合ったものでした。
そして、商売の方もうまく行くようになりました。
Tさんがやっていた商売は雑貨を主としたものでしたが、必要とあらばどんな物でも商売をします。
だから買う人にとってはとても便利なんです。
Tに頼んでおけば何でも手に入るということから商売はだんだん繁盛するようになってまいりました。
Tさんも北門のあたりまで行って日本人相手に大分商売がよく行くようになったのです。
この頃は日本人が多く住んでいたのは東の町の方でした。
私たちはTさんと一緒に西の方に住んでいましたので、東の日本人とそうしょっちゅう会うということはありませんでした。
ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさんが私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。
そのとき私が日本人であるということがわかると大変なことになるので、日本人であるということは言わないように、そして日本人とあまりつきあってはいけないと申すのです。
私は心の中に不満が一杯だったけどTさんに逆らうことは出来ません。
それで出来るだけTさんの言うことを聞くようにしました。顔見知りの兵隊さんと道で会うとその兵隊さんが、Tさん近頃は軍の方にこないようになったが何故と尋ねられるとき程つらいことはありませんでした。
そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。
何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。
Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。
そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。
只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。
私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。
そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。
だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。
いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。
私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。
そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。
するとTさんはあなたも日本人じゃないかと申したのです。
するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。
日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。
そして安重根という人の話を語りました。
伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。
我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと申すのです。
私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。
なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。
こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。
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