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11/12/24 23:39:49
「権力闘争の道具」「妊娠拉致」元幹部が語った実態 配信元:産経新聞 2011/12/24 14:23 【独裁者の大罪】 金正日時代と拉致(上) 密告と粛清で北朝鮮を統治してきた金正日時代が終わった。 正恩体制の行方に国際社会の関心が集まるが、世代が代わり政権が交代したからといって旧悪が過去のものになるわけではない。 「拉致」をキーワードに、関係者の証言を交えつつ金正日時代の深い闇に改めて光を当てる。 (久保田るり子) 1980年代初め、台湾で大物の北朝鮮高官が韓国情報機関に拘束された。 申平吉と名乗ったが、本名を朴ビョンフンという。 朝鮮労働党の対南(韓国)工作部門のナンバー2だった。 「申のもたらした情報は韓国の北朝鮮分析のバイブルといっていい」(韓国情報機関幹部) そして彼こそ、金正日総書記による外国人拉致工作指令を初めて明らかにした人物である。 その証言によると-。 「これまでの工作は、一言でいえば0点だ!」 76年、金総書記は対南工作部門幹部会議で熱弁をふるっていた。 「日本に行けば日本人、中国に行けば中国人、南朝鮮(韓国)に行けば南朝鮮人となり、言語、習慣、職業を合法的に獲得すれば、どんな工作でも自由にできるではないか!」 「工作員の現地化教育のために現地人を連れてこい!」 外国人拉致という国家犯罪はこの瞬間に生まれた。 □ □ 南北が厳しい対立関係にあった当時、北朝鮮は韓国の「赤化統一」を国家目標に、国家予算の7割までも対南工作に割いていた。 74年に父・金日成から後継者内定を受けた金総書記にとって、父の歓心を買い、自らの基盤を確固たるものにするためにも、対南工作の“果実”がのどから手が出るほど、ほしかった。 まず、75年に労働党の全ての対南工作機関と海外拠点に「過去の総括」を命じた。 総括とは、失敗を認めさせるための自己批判のことだ。 2年に及んだ総括では精神を病む者や自殺者が続出したという。 そして76年、金総書記が金日成からの世襲過程で、対抗勢力を排除する権力闘争の「道具」として考案し実行を指令したもの、それが外国人拉致だった。 総括以降、金総書記は工作資金1ドルにいたるまで自身のサインなしに動かせない盤石な権力機関を構築していく。 続きます。
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>>151 当時13歳の横田めぐみさんが新潟市内で拉致されたのは77年である。日本人拉致被害者(政府認定)17人のうち13人までが77、78年に集中している。 96年、申氏は金総書記の対南工作をまとめた本を韓国で出版した。 彼が突然死したのは2年後のことだ。 □ □ 金総書記の組織改編で誕生したのが、労働党統一戦線部である。 北朝鮮の対外工作の中心として日本の朝鮮総連も指導してきた。 同部の元幹部、張哲賢氏が、産経新聞に外国人拉致の実態について証言した。 「外国の男性を拉致し、北朝鮮の女性を与える。外国人のタネを植えれば、見かけは欧米人の子供が生まれる。どこにでも潜りこませられる現地化の方法として考案された」 日本人を含む外国人拉致の頻発後に登場した「妊娠拉致」と呼ばれる方法だ。「 金正日自身の発案だった」という。 しかし問題があった。 「外国人の子供の場合、海外に出すと忠誠心が保てなかった」のだ。 それでは、と、外国人の子供を拉致し、北朝鮮で育てて忠誠心を持たせる「子供拉致」も考え出されたという。 張氏は拉致被害者とみられる子供を何人か目撃したと指摘している。 金総書記が指導した工作員の現地化は、周到に準備された。 例えば、工作員の日本人化のケースだと、まず日本化教育に何年もかける。 その上で、この「偽装日本人」を第三国に出し、「日本人」として数年過ごさせる。 こうした「洗濯」が終わった後で、ようやく目的地に送り込むという。 「70年代に養成され、洗濯されたスパイはいまだに現地にいる。数は多くないだろう。ただ、それが誰なのかを知って(全体を把握して)いるのは金正日だけだった」(張氏) 後継の金正恩氏が父・正日体制下の国家犯罪である外国人拉致をどう扱うのかは不透明だ。 だが、うやむやに終わらせないためにも今こそ、拉致の実態を再検証する必要があるだろう。
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12/10/14 09:24:29
>>151>>152 「早急に日本人連れてこい」 昭和53年頻発 北が緊急指令か 産経新聞 10月14日(日)7時55分配信 ■蓮池さんに実行犯説明 平成14年10月に帰国した拉致被害者、蓮池薫さん(55)、祐木子(ゆきこ)さん(56)夫妻を拉致したとして国外移送目的略取容疑で国際手配されている北朝鮮工作員、チェ・スンチョル容疑者が、拉致された直後の被害者に「早急に日本人を連れてこいと指令を受けた」と説明していたことが13日、捜査関係者への取材で分かった。 蓮池さん夫妻が拉致された昭和53年は日本人10人が拉致されたほか、韓国、タイ、マカオ、ルーマニア、レバノンでも拉致事件があり、北朝鮮上層部が緊急的に拉致指令を出した可能性が強まった。 ◇ 捜査関係者によれば、チェ容疑者は53年7月下旬、北朝鮮の工作機関「対外情報調査部」から拉致指令を受け、拉致実行役の3人と新潟県柏崎市に潜入。 海岸付近で2、3日、拉致対象者を探していたところ、同31日にデートに訪れた蓮池さんらを見つけ、チェ容疑者が「たばこの火を貸してくれ」と薫さんに声をかけ、拉致を実行した。 薫さんらが北朝鮮に到着後、チェ容疑者は「拉致実行部隊は急遽(きゅうきょ)構成されたため、3人の戦闘員(実行役)は慣れていない様子だった。 潜伏中に度胸試しに飲食店でカレーライスを注文させ、『堂々としていれば大丈夫』と教えた」といったエピソードを語った。 チェ容疑者は、日本人拉致を指示された当初、一度は拒否したが、対外情報調査部の姜海龍(カン・ヘリョン)元副部長から叱責され、再教育を受けたことも説明したという。 姜元副部長は1978(昭和53)年に韓国人被害者で女優の崔銀姫(チェ・ウニ)さんが北朝鮮に連れ去られた際、南浦(ナンポ)港で金正日総書記とともに出迎えた側近。 金総書記は76(昭和51)年に「工作員を現地人化させるため、現地から教官を連れてこい」との拉致指令を出した。 しかし、その年に拉致された日本政府認定の被害者はおらず、翌昭和52年は横田めぐみさん=拉致当時(13)=ら3人。 公安関係者は「拉致計画の進捗(しんちょく)が悪かったので、53年に上層部から緊急指令が出されたのでは。各国でも拉致事件が頻発している」と分析している。
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.151 長文だけど
11/12/24 23:39:49
「権力闘争の道具」「妊娠拉致」元幹部が語った実態
配信元:産経新聞
2011/12/24 14:23
【独裁者の大罪】
金正日時代と拉致(上)
密告と粛清で北朝鮮を統治してきた金正日時代が終わった。
正恩体制の行方に国際社会の関心が集まるが、世代が代わり政権が交代したからといって旧悪が過去のものになるわけではない。
「拉致」をキーワードに、関係者の証言を交えつつ金正日時代の深い闇に改めて光を当てる。
(久保田るり子)
1980年代初め、台湾で大物の北朝鮮高官が韓国情報機関に拘束された。
申平吉と名乗ったが、本名を朴ビョンフンという。
朝鮮労働党の対南(韓国)工作部門のナンバー2だった。
「申のもたらした情報は韓国の北朝鮮分析のバイブルといっていい」(韓国情報機関幹部)
そして彼こそ、金正日総書記による外国人拉致工作指令を初めて明らかにした人物である。
その証言によると-。
「これまでの工作は、一言でいえば0点だ!」
76年、金総書記は対南工作部門幹部会議で熱弁をふるっていた。
「日本に行けば日本人、中国に行けば中国人、南朝鮮(韓国)に行けば南朝鮮人となり、言語、習慣、職業を合法的に獲得すれば、どんな工作でも自由にできるではないか!」
「工作員の現地化教育のために現地人を連れてこい!」
外国人拉致という国家犯罪はこの瞬間に生まれた。
□ □
南北が厳しい対立関係にあった当時、北朝鮮は韓国の「赤化統一」を国家目標に、国家予算の7割までも対南工作に割いていた。
74年に父・金日成から後継者内定を受けた金総書記にとって、父の歓心を買い、自らの基盤を確固たるものにするためにも、対南工作の“果実”がのどから手が出るほど、ほしかった。
まず、75年に労働党の全ての対南工作機関と海外拠点に「過去の総括」を命じた。
総括とは、失敗を認めさせるための自己批判のことだ。
2年に及んだ総括では精神を病む者や自殺者が続出したという。
そして76年、金総書記が金日成からの世襲過程で、対抗勢力を排除する権力闘争の「道具」として考案し実行を指令したもの、それが外国人拉致だった。
総括以降、金総書記は工作資金1ドルにいたるまで自身のサインなしに動かせない盤石な権力機関を構築していく。
続きます。
No.152 続き
11/12/24 23:42:55
>>151
当時13歳の横田めぐみさんが新潟市内で拉致されたのは77年である。日本人拉致被害者(政府認定)17人のうち13人までが77、78年に集中している。
96年、申氏は金総書記の対南工作をまとめた本を韓国で出版した。
彼が突然死したのは2年後のことだ。
□ □
金総書記の組織改編で誕生したのが、労働党統一戦線部である。
北朝鮮の対外工作の中心として日本の朝鮮総連も指導してきた。
同部の元幹部、張哲賢氏が、産経新聞に外国人拉致の実態について証言した。
「外国の男性を拉致し、北朝鮮の女性を与える。外国人のタネを植えれば、見かけは欧米人の子供が生まれる。どこにでも潜りこませられる現地化の方法として考案された」
日本人を含む外国人拉致の頻発後に登場した「妊娠拉致」と呼ばれる方法だ。「
金正日自身の発案だった」という。
しかし問題があった。
「外国人の子供の場合、海外に出すと忠誠心が保てなかった」のだ。
それでは、と、外国人の子供を拉致し、北朝鮮で育てて忠誠心を持たせる「子供拉致」も考え出されたという。
張氏は拉致被害者とみられる子供を何人か目撃したと指摘している。
金総書記が指導した工作員の現地化は、周到に準備された。
例えば、工作員の日本人化のケースだと、まず日本化教育に何年もかける。
その上で、この「偽装日本人」を第三国に出し、「日本人」として数年過ごさせる。
こうした「洗濯」が終わった後で、ようやく目的地に送り込むという。
「70年代に養成され、洗濯されたスパイはいまだに現地にいる。数は多くないだろう。ただ、それが誰なのかを知って(全体を把握して)いるのは金正日だけだった」(張氏)
後継の金正恩氏が父・正日体制下の国家犯罪である外国人拉致をどう扱うのかは不透明だ。
だが、うやむやに終わらせないためにも今こそ、拉致の実態を再検証する必要があるだろう。
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.157 匿名
12/10/14 09:24:29
>>151>>152
「早急に日本人連れてこい」 昭和53年頻発 北が緊急指令か
産経新聞 10月14日(日)7時55分配信
■蓮池さんに実行犯説明
平成14年10月に帰国した拉致被害者、蓮池薫さん(55)、祐木子(ゆきこ)さん(56)夫妻を拉致したとして国外移送目的略取容疑で国際手配されている北朝鮮工作員、チェ・スンチョル容疑者が、拉致された直後の被害者に「早急に日本人を連れてこいと指令を受けた」と説明していたことが13日、捜査関係者への取材で分かった。
蓮池さん夫妻が拉致された昭和53年は日本人10人が拉致されたほか、韓国、タイ、マカオ、ルーマニア、レバノンでも拉致事件があり、北朝鮮上層部が緊急的に拉致指令を出した可能性が強まった。
◇
捜査関係者によれば、チェ容疑者は53年7月下旬、北朝鮮の工作機関「対外情報調査部」から拉致指令を受け、拉致実行役の3人と新潟県柏崎市に潜入。
海岸付近で2、3日、拉致対象者を探していたところ、同31日にデートに訪れた蓮池さんらを見つけ、チェ容疑者が「たばこの火を貸してくれ」と薫さんに声をかけ、拉致を実行した。
薫さんらが北朝鮮に到着後、チェ容疑者は「拉致実行部隊は急遽(きゅうきょ)構成されたため、3人の戦闘員(実行役)は慣れていない様子だった。
潜伏中に度胸試しに飲食店でカレーライスを注文させ、『堂々としていれば大丈夫』と教えた」といったエピソードを語った。
チェ容疑者は、日本人拉致を指示された当初、一度は拒否したが、対外情報調査部の姜海龍(カン・ヘリョン)元副部長から叱責され、再教育を受けたことも説明したという。
姜元副部長は1978(昭和53)年に韓国人被害者で女優の崔銀姫(チェ・ウニ)さんが北朝鮮に連れ去られた際、南浦(ナンポ)港で金正日総書記とともに出迎えた側近。
金総書記は76(昭和51)年に「工作員を現地人化させるため、現地から教官を連れてこい」との拉致指令を出した。
しかし、その年に拉致された日本政府認定の被害者はおらず、翌昭和52年は横田めぐみさん=拉致当時(13)=ら3人。
公安関係者は「拉致計画の進捗(しんちょく)が悪かったので、53年に上層部から緊急指令が出されたのでは。各国でも拉致事件が頻発している」と分析している。