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地震翌日に帰港すると、海におびただしい遺体が。車内で赤ちゃん抱いた女性、屋根につかまった男性…漁師、200遺体収容
「冷たい所に残せるか」
帰港の漁師 200遺体収容 ・東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた宮城県気仙沼市に、地元のマグロ漁船「第18滝浜丸」が青森県八戸市沖から戻ったのは、震災翌日の三月十二日だった。
乗っていた相楽直樹さん(39)が目にしたのは、重油まみれの海に投げ出された人々のおびただしい遺体だ。
流されていく車の中に赤ちゃんを抱いたまま閉じ込められた女性、屋根につかまったままの姿で水に漂う男性…。遺体があまりに多く、接岸できない。海上保安庁に連絡しても「すぐには行けない」と言われ、逆に収容を依頼された。
「こんな冷たい所に残していけるか。一人でも多く連れていこう」仲間六人と船のクレーンで車を釣り上げては中から遺体を引き出し、浮いている遺体は抱えて積んだ。
作業の合間に、港に近い集落も見えた。だがそこにあるはずの自分の家はなかった「家族もだめなのか…」。絶望的な気持ちで、計二百体余りの遺体を収容しては別の船に運んだ。
三日後にようやく陸に戻ったが、妻尚子さん(42)らの携帯電話につながらない。五日後にインターネットの安否サイトを見た人から、家族の無事を知らされた。尚子さんは、宮城県大崎市の病院に手術のため十二日に入院する予定だったが、検診が一日早まり、二人の娘と病院にいた。すぐに駆け付け、妻や娘と抱き合って泣いた。
相楽さんはもともと水産庁の漁業取締船の乗務員だったが、尚子さんの医療費を稼ぎ出すため、一月にマグロ漁船に乗り換えた。津波で事務所や漁具も流され、会社は解散が決まった。
海から収容した遺体を埋葬してもらうため、岩手県陸前高田市の広田湾まで届けたのが、漁師として最後の仕事になった。
それでも一番大切な人は生きている。「海の仕事しかできないから、新しい職を探すには地元を離れなくちゃいけない。でも妻の病気が良くなるまで失業保険で食いつなぎ、見守ってあげたい」 東京新聞
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