• No.99 同和地区は

    SH705i

    09/12/18 09:46:00

    もともと「エタ」「非人」と言って、(何時代か忘れたけど)死刑になった人の死体を片付けたり、動物の皮から革製品を加工したり、誰もが嫌がる仕事をさせられていた人達の集落だそうです。罪人がなったそうです。私が読んだ本には、時代とともにトサツ場(牛などを食肉にする)などに職の内容が変わっているそうです。仕事内容ではなく、「部落に住む人は、罪人だ」ということが、差別の根底にあったのでは無いでしょうか。そのため、仕事や住居、その他たくさんの面で差別され、積み重なってきたのです。

    小林よしのりさんのゴーマニズ厶宣言(?)に詳しくあったと思います。

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返信コメント

  • No.104

    N705i

    09/12/18 10:02:58

    >>99

    私が習ったのとはちょっと違う。

    江戸時代、職業によってランクがつけられた。

    その一番下がえた・ひにん。
    住居も川の近くに追いやられ、仕事も誰がしたがらないものをさせられ、教育も受けられないのでそこで生まれた子たちはまたえた・ひにんから抜けられなかった。

    そこに罪人たちも混じり、戦後は孤児になった子たちがこういう部落に入り暮らすようになったはずだよ。

    奈良などに部落が多いのは、京などがあった都市部でそういう集団にならざるを得なかったから。
    田舎は農家しかいなかったしね。


  • No.114

    W53T

    09/12/18 12:55:07

    >>99
    現在の同和教育の理念です。
    江戸時代からとされていた差別は、もっと以前からあって銀閣寺を作る時にその技術をもつ集団とか
    また、解体新書を作る時にも協力した民の存在としても書かれているらしい
    現在の歴史の教科書(小6)にはそういう記載がキチンとされているそうですよ
    農耕用の牛馬が病気などで処分しなければいけないなどの仕事を引き受ける代わりにその革を扱う事を許され
    革工芸の技術を伝承して生計を立てていた部落もあるようです。
    差別を受けながらも先人から受け継いだ技術を糧に生きていったというのが今わかってきた範囲みたいですよ。

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