• No.66 自衛隊(陸)

    24/12/11 03:28:48

    今回の冒頭でさ。
    「信じがたいことだが、海軍大学校に戦術講座が設けられたのは明治35年7月のことである。真之は、その初代教官に選ばれた」
    って言ってるけど、真之より前に海軍大学校の教官で、戦術の研究をしていた人はいたんだよね。

    その中で比較的有名なのは山屋他人。
    「他人」は「たにん」って読む、生まれたときに親につけられた正真正銘の本名で、皇后雅子様の曾祖父。
    敵の先頭の艦を複数の味方艦で攻撃する「円戦術」を編み出していて、真之が後にまとめる丁字戦法の先駆けになった。
    大正時代には連合艦隊の司令長官もつとめていて、つまり実戦部隊のトップに上りつめた超有能な人。戦争中ではないから一般には有名じゃないけど。

    ただ真之が教官になる前は、戦術研究は個人のものにとどまりがちだった。
    真之の功績は丁字戦法をまとめた事より、戦術研究を個人にとどめず指揮官や参謀に広く共有させた事の方が大きいかも知れないね。

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