カテゴリ
急上昇
<正直面倒>家の傷を気にしすぎな旦那
23/07/31 20:07:28
貼り付けるもの無くて辛いね
23/08/01 08:12:38
>>4917 朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎が語る、妻との結婚生活とは? 借金地獄を乗り越え、研究を支えた妻 (3) ところが子沢山、結局しまいには十三人もの子どもが出来てしまったので私の家の生活が、月給十五円から二十五円(十三人目の子供が出来た時の俸給が二十円から二十五円でした)ぐらいの俸給と、私の痩腕による副収入とではとてもやってゆけるものではなく、また忽ち各方面の借金また借金がふえてその後長いこと私は苦しまねばならなかったのです。 自身の窮状を思い切って公表する その時丁度天の使のように私の眼の前に現れて来て下さったのが、当時某新聞社の記者をしていた農学士の渡辺忠吾君――一時京都の農学校の校長をしていて今は確か帝国農会の理事か何かしているはずです――でした。この渡辺君が非常に私に同情してくれて「こんな窮状にあることは思い切って世の中へ発表した方がいいでしょう。きっと何かお役にたつこともあるかも知れないから」と極力すすめ、かつは私を激励してくれたので、私もとうとうこの時はじめてわが生活の内容を世間に発表してしまったのです。 すると早速私を救済しよう、という人が二人出て来ました。一人は久原房之助氏、他の一人はまだ京大の学生であって、後の実業家池長孟氏であった。そこで渡辺君の勤め先の新聞社の斡旋で結局池長さんが私の負債を払ってくれることになり、これを綺麗に清算してくれた上で神戸に池長植物研究所をつくられたのです。 それのみならず当時池長さんは月々若干の生活の補助を私にして下さったのであり、私にとって終生忘れることの出来ない恩人になっています。畢竟右の池長植物研究所の名も実は牧野植物研究所とすべきであったが、私は池長氏に感謝の実意を捧ぐるためにその研究所に池長の姓を冠したのでした。 出典:現代メディア
通報
古トピの為、これ以上コメントできません
まだコメントがありません
子育てや家事、旦那に関する悩み相談、TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!
1
25/12/21 14:13:27
554751
2
25/12/21 14:13:07
265
3
25/12/21 13:51:49
73
4
25/12/21 14:02:01
1687
5
25/12/21 14:13:22
15
25/12/21 14:12:09
25/12/21 14:12:02
25/12/21 14:12:15
25/12/21 13:35:51
25/12/21 13:34:47
ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.4917 仲人
23/07/31 20:07:28
貼り付けるもの無くて辛いね
No.4935 ケーキ入刀
23/08/01 08:12:38
>>4917
朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎が語る、妻との結婚生活とは?
借金地獄を乗り越え、研究を支えた妻 (3)
ところが子沢山、結局しまいには十三人もの子どもが出来てしまったので私の家の生活が、月給十五円から二十五円(十三人目の子供が出来た時の俸給が二十円から二十五円でした)ぐらいの俸給と、私の痩腕による副収入とではとてもやってゆけるものではなく、また忽ち各方面の借金また借金がふえてその後長いこと私は苦しまねばならなかったのです。
自身の窮状を思い切って公表する
その時丁度天の使のように私の眼の前に現れて来て下さったのが、当時某新聞社の記者をしていた農学士の渡辺忠吾君――一時京都の農学校の校長をしていて今は確か帝国農会の理事か何かしているはずです――でした。この渡辺君が非常に私に同情してくれて「こんな窮状にあることは思い切って世の中へ発表した方がいいでしょう。きっと何かお役にたつこともあるかも知れないから」と極力すすめ、かつは私を激励してくれたので、私もとうとうこの時はじめてわが生活の内容を世間に発表してしまったのです。
すると早速私を救済しよう、という人が二人出て来ました。一人は久原房之助氏、他の一人はまだ京大の学生であって、後の実業家池長孟氏であった。そこで渡辺君の勤め先の新聞社の斡旋で結局池長さんが私の負債を払ってくれることになり、これを綺麗に清算してくれた上で神戸に池長植物研究所をつくられたのです。
それのみならず当時池長さんは月々若干の生活の補助を私にして下さったのであり、私にとって終生忘れることの出来ない恩人になっています。畢竟右の池長植物研究所の名も実は牧野植物研究所とすべきであったが、私は池長氏に感謝の実意を捧ぐるためにその研究所に池長の姓を冠したのでした。
出典:現代メディア
通報
コメント
古トピの為、これ以上コメントできません
返信コメント
まだコメントがありません