- なんでも
- 円ダァァァァーーーイヤァァァァーーー
- 23/01/19 10:53:34
11代将軍徳川家斉は、なんと生涯で53人(一説には55人)の子どもをもうけた。そのうち、成人したのが、わずか26人。半分以下である。そのほとんどが、5歳までに亡くなっている。江戸時代には7歳までは神のうちといわれて、乳幼児死亡率が2割とも3割ともされているとはいえ突出している。
授乳経験者や授乳風景を見たことがある人ならばわかると思うが、子どもがむずかってなかなか乳を飲もうとしない場合や、暴れて途中で中断することなどのトラブルが日常茶飯事なのだ。つまり、乳を与える者があやすなどしてうまくサポートしてやらなければ、子どもは必要な分だけ乳を摂取することが難しい。抱いてあやすことも禁止されていたというから、子どもたちはいつまでも空腹のままだったのかもしれない。
また、当時の女性たちの化粧法も子どもが育たない要因のひとつであったという説がある。現在、おしろい(ファンデーション)は、主に顔に塗っているが、日本では長い間、顔だけでなく、首や背中、胸元にもおしろいを塗っていた。つまり乳房のあたりにもおしろいが塗られていたため、授乳の時に子どもが意図せずおしろいを口にしてしまう可能性が果てしなく高い。おしろいは明治前半まで毒性の高い鉛が使用されていたものが一般的で、一説によると江戸時代から明治時代にかけて多くの役者がおしろいを多用したことにより命を落としたという。
もちろん、これだけが原因とはいえないが、思うように乳が飲めない上に、毒物にもさらされている大奥の育児環境が、乳幼児死亡率5割強という子どもにとって過酷な結果を導いたのであろう。
ひでーーな。
日本の過去は、北朝鮮以下だな
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