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- 22/04/02 23:45:24
4月2日は世界自閉症啓発デーです。
小学校に入学してすぐ発達障害の1つであるASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた息子。小学校では「問題ない」ように見えていたけれど…。ライター朗子さんがハフポスト日本版に寄稿しました。【文:朗子 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版】
息子は、小学校にあがってすぐに発達障害のひとつであるASDの診断を受けた。小学校では「問題ない」ように見えていた。だが、「みんなと同じようにする」ことをサポートしようとしていた時、息子はずっと苦しんでいた。
公園で外遊びをするようになった1歳の頃から、マイペースな子だなと感じていた。
“おともだち”にはあまり関心を示さず、いつも遊具やおもちゃしか眼中にないようだった。せまい砂場のすぐとなりで、同い年の子どもたちが大騒ぎをしていても、もくもくと一人で遊び続けていたこともあった。
小児科に行くとき、なんとなくいつもよりひとつ手前の角を曲がって行こうとしたら、子どもを乗せる自転車の前シートで泣きわめいて、家の前に戻って再スタートするまでおさまらなかったことがあった。
一方で、よく笑いよく歌うおしゃべりな息子は本当にかわいかった。ほかのお母さんたちと同じように、あれこれ悩みながらも「わが子に合ったやり方」を探り、日常を過ごしていた。
3歳になって幼稚園に入園するころになると、マイペースなせいか子ども同士のあいだでは少し敬遠されている様子もあった。その時は悩んで幼稚園に相談したりもしていたが、「この子はそういう子」と思って接していた。
だが、6歳になりいよいよ小学校入学が近づいてきて、私は焦ってきた。
「もう少し、集団生活になじめるように“しつけ”なくてはいけない」
すると、息子が一気に「難しい子」になっていった。
正直、このころの記憶はあいまいだ。ただ、当時の日記を読み返すと、私はかなり弱っていたようだ。息子は毎日ちょっとしたことで癇癪を起こし、家の中での暴力や暴言がひどかったと記されている。次第に私は食欲がなくなり、体重が減ったり生理が止まったりしていた。
友人の助言もあり、区の発達相談を予約した。そこで医療機関を紹介された。
そして小学校にあがってすぐ、自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けた。しばらくして注意欠如多動症(ADHD)の傾向もあると言われた。その後、14歳になって書字障害の診断も加わった。
知的障害には該当しない。能力によってはむしろ高い数値が出ているものもある。言葉を扱うことは得意で、読むのも話すのも上手だ。聞いて理解する力も集中力さえ保てればほとんど問題はないように見える。
書字についても、まったく書けないわけではない。時間をものすごくかけ、見本を見ながらなら、文字は書ける。
「よく気がついたよね」。同級生のママ友に打ち明けた時に感心したように言われたこともある。だが、それこそが息子の困難の大きな要因のひとつだった。
「ちゃんと受け答えはできるし、問題ない」
「危険なことをする子どもがいたら、そちらを優先することになる」
すべて息子が在籍していた小学校の校長(当時)に言われた言葉だ。
「ほかの障害や問題行動と比べて息子さんは軽度です。だから配慮は出来ません」とシャットアウトされていると感じた。
似たようなことを、親同士のやりとりでも感じたことはある。「そのくらいなら大丈夫よ」といわれ、うまく伝えられないもどかしさが残った。消化しきれなかった気持ちは、ぎゅっと圧縮されたかたまりになって何年経ってもみぞおちのあたりに残り続けている。
発達障害は脳機能の障害と言われる。外からは見えない、脳の働きの差異からくる障害だ。
おそらく脳の中で、ものごとの受け取り方や感じ方が、息子の場合は多数派とは異なっている。
全文はこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/afec587118491fa54a7ac1f7c1148b68a952a9ba?page=2
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