- なんでも
- Osaka Metro長堀鶴見緑地線
- 21/12/27 10:35:41
「正直、考えていなかった五輪。3連覇も考えずに過ごしてきた。子供のころの夢は2連覇だったから。ただ僕しかいない。3連覇の権利を有しているのは。描いた夢ではないけど、また夢の続きをしっかりと描いて。あのころ、前回、前々回とは違った強さで臨みたい。4回転半という武器を携えて優勝を狙います」
北京五輪代表の発表会見で羽生の言葉が強すぎた。試合も強すぎた。超満員1万7809人が凝視する中で跳ぶ。4回転半。フリー「天と地と」の冒頭、いった。緩やかな助走、カウンター(後ろ向きから前に反転する動作)から前に踏み切った。回った。立った。両足。どよめいた。ただ回転不足だった。ダウングレード。3回転半と判定された。減点された。「すごく消耗した」。その全てが挑戦となって足跡が残った。
本気だった。昼の練習で叫んだ。「マジで驚かせてやりてえんだよ!」。その後に提出した予定構成表に「4A」と初明記した。結果は失敗となったが、歴史的な1歩を踏み出した。
「誰も跳んだことない。誰もできる気がしないと言ってる。過程は、ひたすら暗闇を歩いている感じ。頭打って脳振とうで死ぬんじゃないか」。生死を賭けて「世界が終わるんじゃないか」と思いながら「氷に体を打ちつけて死にいくようなジャンプ」を練習した。
本格的な練習開始から3季目。先月のNHK杯の前に「やっと立てた」。光が差した2日後に右足首を捻挫した。「ストレスで食道炎になって熱が出て1カ月間、何もできなかった」。
頭に2文字がよぎった。
「やめようかな」
ふさぎこんだ。「自分の限界を感じた」。苦悩は12月21日まで続いた。「焦っている。早く跳ばないと体が衰える。何で跳べないんだろ。こんなにやっているのにできないなんて…。やる必要あるのかな」。この全日本に出るかどうか。決断する最後の仙台での練習日。90分間、跳び続けた。「あと4分の1で360度回れる」「(降りたと認定される)q判定(4分の1回転不足)ぐらいで4発、降りられた」。やめたくない。「皆さんが懸けてくれてる夢だから」。その思いは北京への道と交錯した。
孤高の歩みは自身も高めた。4回転半こそ跳べなかったが、非公認ながらフリーも合計も、米国のチェンを抜く今季世界最高スコアをマークした。代表最年長27歳にして軽々、五輪切符を得た。「4回転半へのこだわりを捨てて勝ちにいくのであれば、ほかの選択肢もある。ただ、北京を目指す覚悟を決めた背景に4回転半がある。しっかりと成功させた上で1位を目指したい」。3連覇と4回転半の夢は北京で。
浅田真央ちゃんと羽生結弦選手は尊敬する。
金持ちがお金を注ぎ込んで恵まれた環境で練習しても世界一にはなれてない。精神面が強くないと世界一にはなれないことが分かった気がする
羽生結弦選手も震災で避難所生活、リングがない状況で周りのサポートで感謝で這い上がってきた選手
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